特集

2017.03.05|

岡田かつやが語る 東日本大震災から日本復興への思い

※本インタビューは、「岡田かつや後援会会報2011年夏号」より転載したものです。



3月11日の大地震発生時は、岡田代議士はどうされていましたか?

岡田:地震が起きた時、私は議員会館の自分の部屋で参議院の決算委員会の様子をテレビで見ていました。決算委員会には、菅総理をはじめ各閣僚が出席をしていましたが、突然の大きな揺れで思わず立ち上がりました。事務所のスタッフと「大きな地震だね」と話していて、会話の最中におさまるかと思いましたが、大きいだけではなく非常に長かったので、これは場所によっては大変な事態になりかねないと思いました。
決算委員会は中止になり総理は官邸に戻られました。私も院内に戻って幹事長室で党の幹部の皆さんと協議を始めました。テレビでは、津波が押し寄せ川が逆流し、住宅や車が飲み込まれる姿が映し出されており、現実のものとはとても思えない光景でした。今までにない大きな災害に直面していることを実感しました。


頻繁に被災地を回られていますが、最初に訪問したのは山形と青森でした。真っ先に被災3県(岩手、宮城、福島)に入らなかったのには何か理由があったのでしょうか。

岡田:3月11日の直後は被災地に行く事は控えようと判断し、各党の党首にも同様のことをお願いしました。それは、我々が入る事で警備の問題などで多くの人手が必要になり、結果として被災された方々への対応が遅れることを恐れたからです。
最初に入ったのは山形、次は青森でした。山形は地震の影響はありましたが、被災3県の後背地として、支援をするための物資や自衛隊が活動していました。そして、被災された皆さんが避難されているということで、まず山形に入りました。青森も八戸や三沢など津波の大きな影響を受けたところもあり、視察をした際に大変驚いた事を思い出しますが、県全体としては地震・津波の影響は比較的少なかったこともあり、被災3県の周辺から入りました。
その他、茨城や千葉なども早い時期に回りました。そのうえで、岩手、宮城、福島と訪問しました。宮城と福島は二度訪問しました。現地に行きこの目で見ること、直接関係者の皆さんと会話することで、事態の深刻さや現状の問題点がより明確に伝わってきました。




先日(5月14日)、三沢の空軍基地を訪問され、米軍に対し感謝の意を伝えられましたが、海外からの支援をどう受け止められていますか?

岡田:三沢には米軍の空軍基地があります。震災発生後の早い段階から、家族を含めて米軍のみなさんが完全に破壊された漁港の瓦礫(がれき)の除去にボランティアで参加されたという話を、漁業組合の幹部の方から聞かされましたので私はお礼に行きました。今回、米軍をはじめアメリカの支援は本当に大きなものがありました。日米関係をさらに強めたいと思いますし日米関係の重要さを改めて認識しました。
中国や韓国をはじめ、アジアの国々や本来われわれが支援しているアフリカの国々も含めた世界中から緊急支援隊が来てくれたり、支援物資や義援金が送られたりしました。私が感じるのは、同じ人間としての共感を持って支援していただいた人々への感謝の気持ちです。同時に、日本という国が世界の中で従来から好感を持って迎えられていることや、日本や日本人に対する好意、それが今回の海外からの幅広い支援に繋がったと思っています。


各地を回られたなかで、特に印象深かったことやエピソード、今後の課題などを教えてください。

岡田:被災地を回るといろいろなことを感じます。悲惨な現実、なかなか進まない復旧・復興の足取り、瓦礫(がれき)もまだまだ残っていますし、仕事がない中で大変不自由な生活を続けておられる皆さんに対し、本当に申し訳ないと思いますし、一刻も早く状況を改善しなければならないと思います。震災当初は、ガソリンが足りないことが大きな課題で、その次は、仮設住宅の建設がなかなか進まないことでした。そういう問題はかなり前に進むようになりましたが、これからは、やはり被災した地域の再建、そしてそこで働けるような町づくり、そういった本格的な復興に向けての努力が必要です。被災された皆さんは、それぞれ厳しい中にありますが、こちらの励ましや言葉に対して、非常に元気にユーモアで返していただいた方もたくさんいらっしゃいます。先日宮城の離島に行ったときに、90代のとても元気なおばあちゃんに「20代ですか?」と聞いたら「いや、私は10代ですよ」と返していただきました。厳しい状況の中でもユーモアを忘れずに対応していただき、皆さんに逆に元気をもらいました。
そして、厳しい時にこそ、やはりリーダーの力量が試されます。福島第1原発事故の大変な状況の中で、飯館村の村長さんは、計画的避難区域にある特別養護老人ホームを残すという決断をされました。そこにはいろいろな議論がありましたが、「高齢者がバラバラになってしまうよりは、放射線の影響が比較的少ない中で生活していただくことの方が皆さんの幸せにつながる、全て自分が最終的な責任を負う」と決断されました。そういった様々な素晴らしいリーダーに出会うことができるのも、この被災地を訪れての印象深いことです。


震災対応について、菅内閣や民主党に対して厳しい意見も出ていますが、これまでの政府・与党の取り組みをどう見ていますか?

岡田:震災対応について、菅総理はじめ各大臣、政府はこの未曾有の危機の中で非常に頑張っているということは申し上げたいと思います。遅い遅いという声もあります。例えば、第1次補正予算の提出が阪神淡路大震災のときに比べて10日遅いと批判した新聞がありました。しかし、状況は全く違います。当面のお金すらなかった阪神淡路大震災のときは、1兆円の補正予算を組みました。今回は予備費がかなり潤沢に使えるという中で、阪神淡路大震災のときよりは遅かったとはいえ、4兆円の本格的な補正予算を組んだわけです。その2つを比べて10日遅いと批判するのは全くの見当違いです。
私がもう1つ思うのは、全てを菅総理の責任にしているということです。未曾有の事態であるこの地震や津波、原発事故、誰がやっても難しいことは国民の皆さんも良く分かっていると思います。しかし、それを全て総理の責任にして攻撃や批判がされています。健全な批判は必要ですが、批判するだけでは十分ではないと思います。菅内閣が今までやってきたことに対する正当な評価も是非お願いしたいと思っています。




震災復旧、被災者支援のための第1次補正予算が5月2日に成立しましたが、そのポイントを教えてください。

岡田:補正予算は4兆円を超える大きな予算で、瓦礫の撤去や仮設住宅の建設、学校や病院の建設、道路や港湾の復旧などかなりの内容です。漁業予算を取り上げると、年間の日本全体の漁業予算を超える金額がこの補正予算に計上されています。その中には、漁港の瓦礫の除去のために日当約1万2千円を支給して、雇用を創り出しながら漁港の復旧をはかるというような予算も含まれています。これなども被災者の皆さんの意見を取り入れてできたものです。中小企業に対してもかなりきめ細かい対応がなされています。詳しくはぜひホームページ(PDF)でご覧いただきたいと思っています。
メディアを見ても、予算の規模の話や、遅い早いとかそういう議論が盛んになされますが、大事なことは4兆円の予算を有効に使い、きちんと使い切るということだと思います。


第1次補正予算は与野党全会一致で成立しました。成立への過程で、与党幹事長として野党との交渉にあたられたと思いますが、与野党間の調整は大変でしたか?

岡田:補正予算を作るにあたって野党との協議が非常に重要でした。実はこれまで野党の幹事長レベルはもちろんですが、各党の実務者と政府との協議の場である「各党・政府震災対策実務者会合」を20回開催してきました。各党から非常に良い意見もたくさんいただき、その中にはすぐに実行されたものもありますし、補正の中に反映されたものもあります。野党の皆さんも実務者会議の中では非常に有益かつ具体的な提案をたくさん出されて、それには非常に感謝しています。こういう大きな震災のときで、日本全体が1つになろうという時に、永田町だけが、国会だけが別ということはあってはならないことで、心を1つにして震災対応をしていかなければならないと思います。


これから第2次補正予算の議論が本格化してきます。岡田代議士は党震災復旧・復興検討委員長も務めていますが、基本的な考え方を教えてください。

岡田:第2次補正は第1次補正でやり残したこと、とくに原子力被災者への対策を中心に、迅速に作りたいと思います。そのうえで本格的な復旧のための第3次補正予算が必要となります。これはかなり規模の大きなものになりますので、まず県や市町村の話をきちんと聞いた上で、議論していかなければなりません。国が主導するという名の下で実態とかけ離れたものをつくるということは、結局税金の無駄遣いにつながります。同時に市町村や県が自由度をもって使えるお金や制度なども必要だと思います。被災地にはいろいろな問題があります。多様な問題がある中で、地域的にも広いですし、原発もあれば津波、地震もあり、地域も沿岸部もあれば内陸部もあります。そういう中で従来の細かいルールをあてはめていくと物事が前に進みません。市町村、そして県の責任で進めていただける、そういう地方重視の補正予算にすることが重要だと思っています。


原発事故対応については、被災者や国民から特に厳しい声が聞こえてきます。政府の取り組みをどう見ていますか?

岡田:放射能による被ばくの恐れは、多くの国民にとって大変心配なことです。したがって、しっかりとした情報公開、政府の迅速な対応が必要です。当初は大きな混乱の中でそういったところに問題があったところは事実ですが、それを乗り越えてやっていかなければいけないと思います。同時にいろいろな経験したことのない問題が起きていることも事実で、政府で対応しにくい問題を党として取り上げてきました。



  

原発事故に関しては、20km圏内の警戒区域、あるいは20~30km圏の計画的避難区域の問題が深刻です。岡田代議士は党震災対策本部長としてこの問題に熱心に取り組み、自ら政府に申し入れをしたと聞いていますが、どういった申し入れをされたのでしょうか?

岡田:私が行ったのは20キロ圏内です。警戒区域に入っているけれども境界線からわずか数十メートルのところで、是非、工場を再開したいという中小企業の経営者や働く人々の要請がありました。線量計で測ると放射能の値は大きくありません。そういうところは弾力的に考えていくべきだと思います。
それから、計画避難区域内の飯館村でも工場や特別養護老人ホームからもそういったことについて例外をぜひ設けてもらいたいという話もありました。こういうものは一定のルールが必要です。例外の作り方についても、きちんとしたルールに基づいていないと、警戒区域や計画的避難区域の中でも区域を指定した意味がなくなってしまうということにもなりかねません。そういうルールは必要ですが、同時に、原理原則にあまりにとらわれることなく、現実的にしっかり対応していく必要があると思います。
福島第1原発事故の話はまだ安定的に冷却するという状況に至っておりません。工程表に従っていろいろな作業をしていますが必ずしも容易なことではないと思います。もちろん現場には死に物狂いでいろいろなリスクをかかえながら進めてもらっていますが、それをしっかり政治が後押しをしなければならないと思います。


菅総理は浜岡原発の全炉停止を中部電力に要請し、当面の間停止されることになりました。中部電力は岡田代議士の地元三重県にも電力供給していますが、どのようなお考えですか?

岡田:浜岡原発の話は、結論として総理はいい決断をされたと思います。しかしその影響は当然出てきます。どういう場合に原子力発電所を停止しなければならないのか、あるいは今停止して検査をしているものを再稼動させるためにどういうことが必要なのか、そういったことについてしっかりとした議論を早急に行うことが必要です。しかし、このまま定期検査中の原発が再稼動しないままで次々と定期検査に入っていくことになると、日本の電力供給の約30%を占める原子力全体が止まるということにもなりかねません。そのときには電力の供給が十分ではなくなるので、きちんとした基準をもって、必要なものは再稼動していくということを政府の責任で進めていかなければいけないと思います。そこで重要なことは説明をきちんと行なうということです。


今後のエネルギー政策全体を見直すという菅総理の表明もありましたが、岡田代議士のお考えを教えてください。また、今回の原発事故も含め、エネルギー政策の見直しは、地球温暖化問題にも大きな影響を与えそうです。

岡田:中・長期的に、原子力依存度を5割程度にまで高めるという今のエネルギー計画の見直しは必然だと思います。一方で地球温暖化、つまり温暖化ガスを排出する石炭やLNG火力をやみくもに増やしていいということにもなりません。そこで大事になるのが1つは全体のエネルギー使用を減らすという省エネ、もう1つは自然エネルギー、再生可能エネルギーです。風力や太陽光、地熱などいろいろな自然エネルギーがありますが、いずれもコスト的には今より上がるので、そういったものがしっかりと導入されるような仕組みや、多少高くても電力会社に買い取らせ、その分は電気料金に反映するという固定価格買取制度をしっかりと進めていくことが重要です。エネルギー政策に関しては、当面をいかに乗り切るかということと中長期の展望、そのいずれもしっかりとした議論が必要だと思います。



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