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小嶋千鶴子 ― 見事な人生だった



 私の伯母、小嶋千鶴子が亡くなりました。106歳でした。昨年までは元気で、私がコロナ感染を心配して自重を求めても、平気で京都まで遊びに行ったりしていましたが、さすがに12月に入院したのをきっかけに徐々に弱くなってきていました。その後も驚くような生命力で、何度か危機を脱し、連休前には食卓でともに昼食をとったのですが、とうとう帰らぬ人となってしまいました。
 両親と長姉が次々と亡くなる中で、若くして岡田屋呉服店の経営者となり、戦後、私の父 卓也が大学を卒業するまで社長、その後も家業を企業にするために大きな力量を発揮してきました。経営者としての活躍は私にはわかりませんが、若い時から読書を欠かさず、終戦直後に第一次大戦後のドイツのようにインフレが来ることを予見し、すべての現金を商品に替えたことは、その後の岡田屋の発展につながりました。
 私の名前 克也は、千鶴子さんが名付け親だと聞いていますが、「人に勝つのではなく、自分に克ことが大切だ」との意味だと聞かされました。公私の混同は絶対にしない、何事も計画を立てて先の見通しをもって着実にすすめ、読書と勉強を怠らないなど、今の私の人生の基本となることは、千鶴子さんから教えられました。
 本人は60歳で経営者をやめ、その後の残された人生も、パラミタ美術館創設、若い芸術家の支援など自分の立てた計画通りに歩んできました。引退後に陶芸をはじめ、毎日人形を作ることを日課とし、多くの若い友人(と言っても多くは還暦以上)に囲まれ、日々を質素に、楽しく過ごしていました。こんなに長生きしたのは、計算外だったと言っていましたが、本当に見事な人生でした。亡くなる数週間前に「本当にいい人生だった」と語り、「ありがとう」と言われましたが、大往生とは、こういうことを言うのだと思います。
 今年になって毎週のように訪ね会話してきましたが、もっと元気な時に深い話ができたらよかったと後悔しています。私の子供達が成人するまでずいぶんかわいがってもらいました。私にとって恩人であり、人生の教師でした。ご冥福を心から祈ります。



コメント
  1. 小浜直子 より:

    素晴らしい叔母様だったんですね。ご冥福をお祈り致します。岡田国会議員には日本国の総理大臣になって頂きたいです。立憲民主党が自由民主党と連立を組み公明党と自民党が連立を解消して貰いたいです。それを大半の日本国民は望んでいます。

  2. 大浅田均 より:

    イオンのお母さん!
    ありがとうございました。
    沖縄の地より謹んでご冥福をお祈りいたします。

  3. 相前 より:

    私たちイオンピープルも暖かく育ててくれました。感謝です。

  4. 栢山トーマス より:

    「あしあと」読み返します。ご指導有難うございました。慎んでお悔み申上げます(合掌)

  5. 内山祐吉 より:

    6年ほど前に美術館にお伺いした際、昔知り合いの陶芸家が講演をしていたので偶然待合で話していたところ、隣でジャンパーを着て座っている高齢の女性がいました。彼が去った後2人で30分ほどお話ししていましたが、あまりにも四日市萬古焼のことに詳しかったのでふとお顔を拝見いたしましたら、岡田会長によく似て見えましたので、おたずねしさたら、姉と言われました。とても気さくで元気な方でした。後ほど秘書の伊藤さんにその話をしましたら、めったにないことと言われました。貴重だったと私も今は思っています。ご冥福をお祈り申し上げます。

  6. 大須賀泉 より:

    おはよう御座います。朝から深くとても貴重なお話をきけて大変嬉しく思います。
    とともに、小嶋千鶴子さんのご冥福をお祈り申し上げます。
    100歳を越えられ、コロナ禍での中でも
    普段の生活みたいにお過ごしになされていたというエピソードを拝見するだけでも
    私にとって一休みのお時間でもあります
    毎日が、侵略話などの話がずっと続いている状況でありました。
    昨日は、自民党の小野寺五典議員の質疑を
    初めて拝見しまして、真実として受け止めながら視聴してました。自分自身の解釈は
    政治の深い所を学べただけでも、今後に
    いかせられる事だと私は思います。
    その事を教えてくれたお方が、岡田克也さんの影響もあります。ありがとうございます。

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