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2003.08.23|マスコミ

10年後の夏 小泉に挑む

「10年はかかるよ」と言われたのが、自由党幹事長・藤井裕久氏(71)の耳に残っている。93年夏だった。自民党を離れる直前、後藤田正晴元副総理を訪ねた時のことである。

「自民党に対抗できる政党を作ろうという意気込みは分かるが、簡単ではない。妨害もあるだろう。でも、頑張りなさい」と、後藤田氏は励ました。後藤田氏は自民党に残り、藤井氏らの離党は大きなうねりとなって非自民の細川連立政権樹立につながった。

民主党幹事長の岡田克也氏(50)も、10年前の夏に自民党を離れた一人だ。小選挙区制導入を柱とする政治改革を唱え、慎重派だった亀井静香氏と取っ組み合いになったこともある。その様子が載った新聞の写真を、岡田氏は今も大事にしている。

藤井氏は大蔵省(現・財務省)、岡田氏は通産省(現・経済産業省)出身のエリートである。二人とも自民党竹下派に所属。「数と団結」を誇る集団の凄(す ご)みを体得した。それでも、官僚出身だけあって、自民党の政策に行き詰まりを感じていた。「冷戦と高度成長が終わって、それまでのやり方が通じるはずが ない」と思っていた。

そこに起きた竹下派分裂劇。二人は小沢一郎氏と行動をともにした。自民党を離れて、小沢氏と新生党を結成。細川政権で藤井氏は蔵相に就いた。自民党が政権に復帰した後、二人は非自民の野党結集をめざして新進党に加わった。

しかし、その新進党もあえなく解党。藤井氏は小沢氏側近の道を選んだ。岡田氏は民主党に入り、鳩山由紀夫、菅直人両氏らと合流した。

政党の離合集散の中を生き延びてきた二人が、民主、自由両党の合併で、久しぶりに同じ党に所属する。後藤田氏の予言通り「10年」にして自民党に対抗でき る政党ができるのかどうか。新しい民主党の最初のハードルである衆院選の候補者調整では、両幹事長の決断が問われる。さらに合併後も幹事長を続ける岡田氏 にとって、衆院選は試練の場である。

通常国会が終わって、自民党のベテラン職員と雑談していたら、「岡田氏の、あの質問が良かった」と言う。国会最終盤の衆院予算委員会で、小泉首相を追及した岡田氏はイラク戦争に触れた。

「戦争で1万人以上の方が亡くなっている。それぞれに家族もあるし、人生もある。けがをした人、家族ばらばらになった人、財産を失った人が無数にいる。だ からこそ、戦争を始めることに対しては政治家として、人間としてギリギリの判断を求められる。首相にはそういう重さが感じられない。単に米国に追随してい る。首相の軽さを見ると、首相の資格、資質があるのか。疑問に思う」

私も国会中継のテレビを見ていて、普段はヤジで騒がしい委員会の部屋が、岡田氏の気迫に押されて静まり返ったのを覚えている。

小泉首相は「国民が、菅さんなり岡田さんが私より資質があると思えば、総選挙で選ばれて、首相になるでしょう」と切り返すのが精いっぱいだった。国民が、首相を選ぶ総選挙が近づく。ここまでたどり着くのに、10年が過ぎた。




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