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2007.09.04|TALK-ABOUT [ブログ]

瀬島先生のご逝去――議員になる前から30年近く薫陶


瀬島龍三先生がお亡くなりになりました。

私としては、私が国会議員になる前から、30年近く前になると思いますが、瀬島先生の勉強会、若手の経済人や政治家、官僚などが出席をして、先生のお話を聞く会にずっと参加をさせていただき、ご指導を仰いでいた者として、大変残念に思います。ご冥福を心からお祈りしたいと思います。


瀬島先生の勉強会は、最近は先生のご高齢もあって開催されていませんでしたが、私にとりまして非常に出席することが楽しみな会でした。

非常に大局を見て、様々な情報の中で何を重視し、物事をどう判断したらいいかということが非常に勉強になりました。そして、大局を見るその見方、私の好きな言葉でもある「着眼大局 着手小局」という言葉も、確か瀬島先生に初めて教えていただいたような記憶があります。

元陸軍参謀らしく、非常にシャープな頭の持ち主、そして、国に対する思いを強く持たれた立派な方だったと思います。

瀬島先生について、軍人としての経歴をいろいろ言う方もいらっしゃいます。ただ、瀬島先生が参謀として活躍されたのは30代半ばまで、陸軍大学校を卒業してから7~8年のことです。その後11年間のシベリア抑留を経て、そして、全くの民間人として伊藤忠商事に入社され、勤め上げられた。そこに、瀬島先生の1つのけじめというものを感じるわけです。

もちろん、伊藤忠商事で民間人としてお務めになったあとは、中曽根康弘さんはじめ政界の皆さんの要請に応える形で、土光臨調など様々な政治の周りでご活躍されたことも事実です。

私は民主党代表を辞めてからも瀬島先生をお訪ねしたことが何度かあります。そういう中で、千鳥ヶ淵戦没者墓苑奉仕会の理事に就任させていただきましたし、そして、私が代表を辞めたときの瀬島先生のアドバイスは、「少し若い人を育てることに力を注ぐべきだ」というものでした。

そのことを受けて、私も特に民主党において、若い候補者や政治家を育てるということを自分の使命の1つとして、今日まで来ているわけです。

本当に立派な人生だったと思いますし、たくさんのことを教えていただいたと改めて感じています。

考えてみると、最近、私が政治家として大変尊敬していました後藤田正晴先生や宮沢喜一先生が相次いでお亡くなりになりました。そして、今回瀬島龍三先生ということで、私が若い頃、若い頃と言っても政治家になる前後、そういう30代の頃に大変大きな影響を受けた、薫陶を受けたと言いますか、私自身が非常に勉強させていただいた大先輩が相次いでお亡くなりになることは大変残念なことです。

いままでのいろいろなご意見やお教えをしっかりと胸に刻みながら、これからもしっかりと政治家として活動していきたいと改めて感じた次第です。



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