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2010.03.18|TALK-ABOUT [ブログ]

「密約」報告書(2)―これをきっかけに議論が深まることを期待

今日は、いわゆる「密約」の問題についてお話したいと思います。その後の国会審議なども経て、私なりに考えるところもあります。

まず、今回のこの「密約」問題の調査は、一部のメディアでは単に暴露しただけではないかという間違った報道がなされたりしていますが、もちろん、報告書をお読みいただき、私の記者会見などもご覧いただくとわかりますように、単に「こういうことをやってけしからん」ということでやったものではありません。
そして、私はこの「密約」の問題を勉強していくなかで、むしろ、当時の岸総理や佐藤総理の悩みや苦悩をうかがい知ることができたと思っています。

もちろん、「密約」により、いわば国民を欺いたことは事実ですから、全面的に肯定することはできません。しかし、当時の置かれた状況の中で、ぎりぎりの決断を迫られたということは言えると思います。

岸総理について言えば、例えば、改定日米安保条約の締結時に、朝鮮半島有事の際には、「事前協議制度」にしないという「密約」があったことが判明しました。「事前協議制度」を安保改定時に導入しながら、それに対する重大な例外を置いたということですので、一方でそれは、国民を欺くものであったと言うこともできると思います。

しかし他方で、「事前協議制度」を入れることが、いかに大変なことだったかということも考えなければならないと思います。

60年安保のときには、条約を結ぶか結ばないかというところで国論を二分して、大変大きな騒ぎになったわけです。そういう中で、岸総理としては、従来の安保条約があまりにも片務的で、日本がいわば一人前の国家として扱われていないというなかで、日本から米軍が発進したりするときには、日本政府に対して事前に協議する制度を取り入れようとしたわけです。

しかし、当時の日本とアメリカの力関係、そして朝鮮半島の状況――朝鮮戦争が終わってまだ7年しか経っていなかった――を考えたときに、朝鮮半島有事については例外だという「密約」を結ばざるを得なかった。

もし、この例外を結ばなければ、「事前協議制度」そのものを入れることができなかったかもしれません。そういうことを考えたときに、これはぎりぎりの決断だったという見方もできると思います。

佐藤総理も、「核の再持ち込み密約」ですが、これも「核抜き本土並み」と言って沖縄返還を実現したわけですから、罪は非常に重いと思います。

しかし、じゃあこの「密約」がなければ沖縄は返ってきただろうか。当時の沖縄は、まだベトナム戦争が続いていましたから、米軍にとっては非常に重要な存在であったことは間違いありません。

そして、朝鮮半島情勢も含めて、極東の不安定性の中で、「いざというときには核を再持ち込みすることもありうべし」でないと、沖縄は返ってこないという状況に置かれたときに、こういう「密約」ということになったのだと思います。

そこに、当時の佐藤総理の苦悩があったことは、少なくとも我々はわかっていなければならないと思います。その上で、この「密約」をどう考えるかは、人によってそれぞれの解釈がありうると思いますし、国民に正確なことを言わなかったり、あるいは欺いたことは事実ですが、それだけで片付けられない問題であると思います。

さて、国会審議をしていくなかで、私の発言が大きく取り上げられました。「鳩山内閣としては、非核三原則は守る、堅持する」ということは、何度も申し上げています。しかし、一時的な寄港が「持ち込み」にあたるという日本の解釈は従来から申し上げていますが、アメリカは一時的寄港は「持ち込み」にあたらないとしています。そこに考え方の違いがあることが、今回の「密約」調査で明確になりました。

91年に冷戦が終わってアメリカの核戦略も変わりましたので、戦術核については、日本に持ち込まれることはありません。艦船や飛行機には戦術核は積まれていないということですから、現実の問題は発生しないのですが、しかし、将来緊急事態が発生したときに、絶対にそれがないかというと、将来のことはわかりません。

アメリカの政策が変わる可能性もある。「そういうときにどうなのか」という問いが野党議員から投げかけられました。

私が答えたのは、「鳩山政権としては非核三原則を堅持する。しかし、将来の内閣まですべて縛ることはできない。日本の国、国民が重大な危機的な状況にあるときに、そういった問題が発生したとすれば、それはそのときの政権が、政権の命運をかけてどうするかと、つまり、非核三原則はあくまでも守るのか、それとも、一時的な寄港を認めるのか。それは、そのときの政権が判断するしかない」ということを申し上げたわけです。

別に非核三原則を軽んじるということではなくて、政治の責任を考えたときに、やはり、最後のぎりぎりの局面でどう判断するか。それは、そのときの政権、あるいは総理が全責任を負って決めることです。そして、そのことを国民にしっかりと説明し、場合によっては政治責任を取る――。こういうことだと思うからです。そのことをまず申し上げました。

もう1つは、社民党の議員から質問をいただき、非核三原則を法制化すべきだと言われました。それに対し私は、「『持ち込み』の中に、領海を通過することも持ち込みに当たると非核三原則で言っている。私は、その非核三原則堅持という考え方は、鳩山政権としては変えるつもりはないが、法制化するとなると2つ問題がある」と申し上げました。

1つは、当事国である日本の領海を船舶が通過する場合に、その船が核を積んでいるかいないかとかを日本政府が確認することが、国際法上許されるのかという問題があります。基本的には、領海であっても自由に通行する権利があるとなっています。

もう1つは、非核三原則は誰に対するものなのか。これはアメリカにたいするものだけなのかという問題があります。つまり、領海を通るということであれば、これは、アメリカ以外の核を保有している国の船舶も通っているわけです。そこに核があるかないかをどうやって確認するのか。アメリカは、先ほど言いましたように、政策的にそういったものがないということがはっきりしていますが、他の国については、そういったものは曖昧です。

そうすると、アメリカにだけそういった責任を負わせて、他の国についてはそれはわからないということで、きちんと法律になるのだろうかということを申し上げたところです。

こういう話も、いままであまり明確にされていなかった点ですが、そういった様々な問題について、政党の中で、あるいは国会で議論が深まることを、私は期待しているところです。


◎ いわゆる「密約」問題に関する調査結果(外務省HP)
→ http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/mitsuyaku/kekka.html

◎ いわゆる「密約」問題の調査について(外務省HP)
→ http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/mitsuyaku.html

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