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2011.09.01|夕刊フジ

夕刊フジコラム「ズバリ直球」11年9月1日号

民主党代表選で、野田佳彦財務相が新代表に選出され、30日の首相指名選挙で、第95代首相に指名された。大変素晴らしいことだ。野田氏は、初当選は私が1期先だが、ともに政治改革に取り組んできた同志といえる。一昨年の総選挙では、私が幹事長、彼が幹事長代理として、政権交代の実現に全力を挙げた。

実は、私は1カ月前、野田氏に「ぜひ、次期代表選に出馬してほしい。私は幹事長として厳しい仕事をし過ぎた。あなたしかいない。日本のため、被災地のため、党再建のため、覚悟を決めてほしい」とお願いした。当然、私は彼を支援した。

代表選は厳しい戦いだった。急激な円高などもあり、野田氏は財務相としての職務を優先して、選挙活動はあまりできなかった。前原誠司前外相の出馬も打撃だった。陣営には撤退論を説く人もいたが、野田氏はブレずに信念を貫いた。

党内の若手議員の中には、政権交代以降ずっと政府に入っている野田氏の素顔を知らない人も数多くいたが、最後は、彼の人間力、包容力やブレない姿勢が伝わったのだろう。

野田氏は演説で、「どじょうが金魚のマネをしてもしようがない。(自分は)どじょうだが、泥臭く、汗をかいて政治を前進させる」と語っていた。国民生活を守るために、何としても頑張ってほしい。

さて、昨年9月の内閣改造に伴い、私は幹事長に就任した。そのとき、「天命」とまで言った私に課せられた仕事は2つだと思い定めていた。1つは、小沢一郎元代表の処分問題をきちっと解決し、党をまとめること。もう1つは、与野党の信頼関係を築き、政治を前に進めることだった。

小沢氏の党員資格停止処分については、党内にもいろんな意見があったが、役員会や常任幹事会、倫理委員会といった一連の党内手続きを粘り強く進め、処分を決めた。メディアの中には「遅い」「甘い」という声もあったが、あれ以上、性急に進めると、まとまらなかった。

ただ、この件で、党内がゴタゴタしている印象を与えたことは、申し訳なかった。

自民党や公明党との信頼関係の構築も簡単ではなかった。だが、衆参ねじれの中では、野党の協力なくして法律は1本も通らない。耐え難きを耐え…という時期もあった。最終的には、自公両党の幹事長の理解を得て、話し合いの礎は築けたと思う。

選挙や震災対応など反省すべきことはあるが、私の能力の限り、やるべきことはやった。後任の幹事長には、さらに野党との信頼関係を深めて、政治を前進させてほしい。

ともかく、野田民主党がスタートした。私も、いかなる立場であっても、野田新代表を全力で支え、国民のため、被災地のために頑張っていきたい。




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