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2015.08.20|夕刊フジ

安倍談話で気になった2点 和解は相手が納得するまで続けなければならない

 安倍晋三首相は先週14日、「戦後70年談話」を発表した。普段の言動から、「安倍首相は、村山談話や小泉談話を書き換えるのではないか」と心配する声もあったが、結果としては「安倍色」を抑えた形で、比較的穏当なものになった。

 私を含め、野党議員が国会で「対応を誤ると、歴代内閣が築き上げてきたものを壊しかねない」と警鐘を鳴らしたうえ、与党の公明党や、米国、中国、韓国など外交ルートの働きかけもあったと思う。安倍首相は不満かもしれないが、自身の談話として出した以上、この線は守ってほしい。

 ただ、2点ほど気になった部分がある。

 まず、「植民地支配」「侵略」「反省」「おわび」という4つのキーワードは入ったものの、「反省」と「おわび」の主語が安倍首相ではなく、過去の談話を引用するスタイルになっていたことだ。やはり自らの認識として語るべきだった。また、「植民地支配」と「侵略」も、日本自身の行為なのか一般論なのかはっきりしない。

 次に、「後の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」という部分があったが、私の認識とは少し違う。日本人1人ひとりが謝罪を求められているわけではなく、謝罪すべきはあくまで国の指導者だ。

 ドイツのメルケル首相は3月に私と会談した際に、「過去のことについて完全に決着をつけるのは不可能であり、時代時代で常に過去とは向き合っていかなければならない」と語っていた。私もその通りだと思う。

 こちらから、「もう、この程度でいいだろう」と判断するものではない。和解とは、相手が納得するまで続けなければならない。

いずれにせよ、70年談話は多くの人々がさまざまな配慮を重ねて練り上げたものだと思う。安倍首相が最初から自らの言動に配慮していれば、これだけ大騒ぎされることもなかっただろう。

 私は翌15日、民主党代表として「70回目の終戦の日にあたって」という談話を発表した。

 ここでは、「民主党は、村山談話・小泉談話の歴史認識を評価し、継承する」として、「和解のために先人たちが重ねてきた努力を無にすることなく、歴史の事実を直視し、自らの過ちを率直に省みる謙虚な姿勢で、アジアの国々との信頼関係に基づく外交を前に進めるべき」と記した。

 お盆休みが終わり、参院で安保法制の論議が活発に行われている。個々の論点の背景にある路線の違いについて一言述べておきたい。

 安倍自民党が目指しているのは、その憲法改正草案に明記しているように、集団的自衛権を制約なく行使し、普通に海外で武力行使できる国だ。これに対し、私たち民主党が目指す日本は、先の大戦の教訓と反省、憲法の平和主義の理念に基づき、武力行使に抑制的である国だ。

 どちらの道を選択するのか。子や孫の世代にどんな日本を残すべきなのか。戦後70年の夏を1つの機会として、国民のみなさんにも、真剣に考えていただければと思う。 (民主党代表)




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