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平成13年5月7日、小泉新総理が所信表明演説を行ったときの衆議院本会議場の異様な雰囲気はいまでも忘れられない。「構造改革なくして日本の再生と発展はない」と断言する小泉総理に対して、本会議場の右半分を占める自民党席は静まり返っていた。
それとは対照的に民主党の若手議員は、まるで小泉総理が民主党の総理大臣であるかのように拍手を送った。政調会長だった私も、気が付くと何度か拍手していた。この演説の内容の大部分は、それまで民主党が唱えてきた改革の中身と重なっていたのである。
しかし、小泉政治の5年間を振り返ると、その多くが期待外れの結果に終わってしまった。
外交については、すでに述べてきた。日本外交の幅を狭め、国際社会、とりわけアジアにおける日本の存在感を小さくした。一部国民の間に狭いナショナリズムを育み、近隣の国々との関係を国民レベルで対立的なものにしてしまった。日本外交の再生は、今後の日本政治最大の課題の1つである。
内政についてはいままでに、先送りされ続けた社会保障制度改革と自己目的化した民営化の問題点について詳しく述べてきた。改革の正否をまだ明確に言うことが出来ない郵政民営化を除き、全く改革の名に値しないものだったことは理解していただけたと思う。ここでは、その他の「改革」についても簡単に検証しつつ、小泉改革について総括したい。
小泉総理は最初の所信表明演説で、「今、最も重要な課題は、経済を再生させることです」と述べ、政権としての姿勢を明らかにした。経済再生に関しては、それまで自民党と民主党が激しく論争してきた2つの重要な争点があった。
第1は、景気回復と構造改革の関係である。6つの改革を唱えた橋本構造改革路線が、アジア経済危機の発生、9兆円の負担増、そして山一証券や北海道拓殖銀行の破綻などの金融危機によって挫折したあと、小渕政権は「二兎を追うものは一兎をも得ず」と主張した。改革を棚上げして景気回復に優先的に取り組む姿勢を明確にしたのである。
これに対して、当時民主党の政調会長代理だった私は、構造改革と景気回復は両立できるし、むしろ本格的な景気回復のためには構造改革が必要だ、二兎を追わなければ一兎すら得られない、と主張した。自民党と民主党の対立点は明確だった。
ここに「構造改革なくして成長なし」と主張する小泉総理が誕生した。まさしく民主党の主張そのものだった。
平成13年5月の小泉総理との初めての予算委員会質疑で、私は景気回復と改革の関係について質問した。
岡田「小泉総理は民主党の言っていることを追認したんですね。(景気回復優先という)今まで自民党の言ってきたことは間違いだったとおっしゃったんですね」
総理「たまたま私の言っていることと、岡田さんの言っていることが一致した。民主党の主張を取り入れたというよりも、たまたま似たような考えだった」
同年11月の予算委員会における議論では、私と小泉総理の景気対策としての公共事業拡大に対する否定的な考え方についても一致した。
岡田「来年度予算編成にあたり、景気回復の名のもとに野放図な公共事業あるいは需要追加策を行っていかない、このことについて総理の決意を述べていただきたい」
総理「経済成長はプラスになろうがマイナスになろうが、今、私が進めている構造改革路線というのはどうしても進めていかなきゃならない、そういう覚悟でやっています」
バブル後の長期不況にあるなかで、公共事業を中心とする需要追加型の景気対策を取らないこと、そして、構造改革を進めていくなかで景気回復を実現するという基本姿勢は、小泉総理と民主党、とりわけ私と考えが一致していたのである。
論争点の第2は、不良債権処理の問題である。橋本政権、小渕政権は銀行の不良債権問題について現実を見ることなく、実態を故意に楽観視してきた。不良債権の実態の情報開示や迅速な処理については後ろ向きだった。これに対して民主党は、大手銀行を中心に金融機関は深刻な不良債権問題に直面しており、思い切った処理が必要と主張していた。その主張の一部は、橋本政権退陣後の金融国会において民主党が提案した金融再生法案を自民党が丸呑みすることで実現していた。しかし、これは長銀(日本長期信用銀行)問題を処理したに過ぎず、不良債権処理はまだまだ不十分という認識だった。
金融機関に対する厳格な検査の実施により、不良債権の実態を明らかにするとともに、その検査結果に即した十分な引き当ての実施を主張していた。その結果、大手銀行のほとんどが自己資本不足に陥り、国の資本注入と経営者交代を含む徹底的なリストラが必要になると予想していた。
小泉総理は平成13年の所信表明演説で、不良債権の3年以内の最終処理を目指すと約束したが、その動きが本格化するのは、平成14年9月に竹中平蔵金融担当大臣が誕生したあとのことである。
平成14年2月の予算委員会で、小泉政権下でもなかなか進まない不良債権処理の問題を取り上げた。
岡田「不良債権処理の遅れが、この国の経済にとって致命的なことになっている。3年半前の金融国会で、不良債権の実態を明らかにし、その処理を急ぐべきと主張したが、当時の宮澤大蔵大臣は、岡田委員の言うことは論理は正しいが現実にはできないと答弁した。そうやって先送りした結果が、今の状況だ」
総理「現状について甘かったなという点も反省しつつ、査定なり引き当てなり、あるいは情報公開を進めるため鋭意努力している」
岡田「総理の認識はかなり甘いと思う。3月までに相当思い切ったことをやらないと、ペイオフを迎えたときに相当ひどいことが起こる。それまでにやるべきことをきちんとやるべきだ」
小泉総理が当初、不良債権処理問題の重要さをきちんと認識していたのかどうかは不明である。政権スタート時の柳澤伯夫金融担当大臣は、不良債権処理を躊躇し、その結果として、ペイオフ実施を2年先送りすることになった。しかし竹中大臣に交代後、個々の手法など批判されるべき点もあったが、不良債権処理はおおむね着実に行われた。
小泉改革の中で、私が最も評価するのが以上の2点である。すなわち第1に、改革と景気回復は矛盾しないという基本的な考え方に立ち、公共事業に頼ることなく、民間の力を活用することで、景気回復を目指したこと。そして第2に、不良債権処理を迅速に行うことによって金融機能を再生させ、日本経済の足かせを取り除いたことである。いずれも民主党のかねての主張でもあった。
もちろん、最近の景気回復の主たる要因は、米国や中国の経済成長に伴う輸出拡大と、国内企業のリストラ完了に伴う積極経営への転換によるものである。したがって小泉改革が主たる原因だとはとても言えず、その意味では、小泉総理は運のいい人だと思う。また、公共事業を抑制したといっても、公共事業計画そのものの見直しではなく、単なる量的抑制にとどまったことも事実である。いままで慎重だった整備新幹線や関空2期事業など、小泉政権の下で計画そのものが進展したものもある。そういう意味では、中途半端な改革に過ぎなかったと言える。
しかし、従来の自民党政権であれば、公共事業積み増しという伝統的な手法で財政赤字を大幅に拡大していた可能性が高い。自民党の支持基盤であった地方や建設業者の悲鳴に近い強い反対の声があるなかで、公共事業を抑制し、また規制改革などの改革を進めたことに対して、私は評価している。
不良債権処理については、小泉政権スタート直後は甘い検査がまかり通っていたが、その後、困難があるなかで大きな混乱なく迅速に進めたと思う。不良債権処理は日本経済再生のためには必要なことだが、処理される企業にとってはたまったものではない。実質的に破綻している企業であっても、何とか延命したいと思うのは当然であるし、その取引先や地域経済への影響も考えなければならない。現実の処理の中で、様々な問題や抵抗が出てくる。そういう中で、ブレることなく迅速な処理を実現できたことを私は評価している。
不良債権を処理していけば当然、企業倒産とそれに伴う失業者が増える。また、バブル崩壊後、何とか現状維持でやっていけるのではないかと甘く考えていた企業が、生き残るための改革に本気で取り組み出した時期が、小泉政権スタートの時期にほぼ重なり合う。企業が不採算部門の処理などの本格的な企業組織のリストラと正規社員の削減という雇用調整に踏み切ったのである。
このような状況下で、雇用対策は政治が取り組むべき最大の課題だった。しかし、小泉政権の取り組みは遅れた。
平成15年5月の予算委員会で、私は不良債権処理に伴う雇用対策が不十分であると指摘した。
岡田「小泉総理の主張する2年ないし3年で不良債権を思い切って処理するということ、これは我々の考えと一緒であります。ただ、我々は不良債権はもっと多いと思っていますから、大変なことになると認識しています。このとき最低限やっておかなければならないことは、失業者が増えることに対するセーフティーネットを張っておくことです」
坂口厚労大臣「不良債権処理の規模・スピードによって、必要とされる対策はかなり違うが、いずれにせよ、セーフティーネットは必要だ」「第3次産業における雇用開拓、雇用のミスマッチ対策、不良債権を抱える建設業、流通業、サービス業に対する個々の雇用対策、この3つに絞り込んで雇用対策をやっていかなければならない」
岡田「それは小泉総理が所信表明演説の中で、2、3年で不良債権を一掃すると言う前の話だ。3年間、不良債権処理とセットで時限の雇用対策が必要だ。雇用保険の安定のための費用として2兆円、雇用保険が切れたしまった人や、そもそも適用のない廃業した自営業者を対象に、職業訓練を受けることを条件に最低限の生活保障を2年に限ってやるために2兆円、合計4兆円の対策をやるべきだ」
平成13年11月の予算委員会でも、雇用問題を取り上げた。
岡田「失業率5.3%、恐らくこれは更に高まっていくことは明らかと思いますが、雇用対策は遅れている。今回の補正予算の雇用対策は質・量ともに不十分で、緊急地域雇用特別交付金3500億円も雇用増につながるか疑問だ。民主党提案の2法案に基づく8000億円の雇用対策を行うべきだ」「職を失うということは、人生において最も辛い経験の1つだと思う。来年度予算において雇用対策の充実をしっかり行うべきだ」
総理「職を持たないという苦しさ、これは大変なものだと思います」「雇用対策というのは、改革を成功させるどうかの大きなカギであると認識しています」
しかし、政府の雇用対策は後手に回り、個人破産件数の増加、失業者の中でも世帯主が長期に失業するケースの増加、そういう中で、授業料の免除・減額を受けた公立高校の生徒数が17万人に上るなど、事態は深刻化した。自殺者3万人という状態も続いていた。
平成15年2月の本会議代表質問では、私の質問に対する小泉総理の答弁が施政方針演説をそのまま繰り返しただけだったのに対して再質問した。
岡田「借金してマイホームを買ったが所得が減ったり職を失い、そのマイホームを手放さざるを得ない。家はなくしたけれども借金は残っている。希望を持って望む大学や高校に行ったが就職する道がない、あるいはそれ以前に、親の所得が減って退学せざるを得ない、そういう子供達がたくさんいます。そういったことに対して総理はどう思うのでしょうか」
総理「改革の成果がすぐ現れるとは思っておりません。時間がかかります」「改革をなし遂げて、持続可能な民間主導の成長軌道に乗せることが私に課せられた責任だと思っています」
総理の頭の中には景気回復による失業者の吸収という対策しかなかったのではないかと思わせるような答弁だった。失業者の激増や正規雇用から非正規雇用への置き換えの進行という現実に対して、政治は明らかに後手に回ってしまい、いま格差問題となって顕在化している。
当時民主党が主張していたのは、雇用保険制度の改革や、雇用保険の適用がない長期失業者、廃業した自営業者への生活保障と職業訓練の実現だった。これらの対策がなされれば、事態の悪化に歯止めをかけることが出来たし、少なくとも政治が雇用問題に断固取り組んでいるというメッセージを発信することが出来たと思う。
これからの日本の目指すべき方向性について、平成16年2月の予算委員会で議論した。
岡田「私は、小泉総理以上に市場経済主義者かもしれない。しかし、市場における自由な競争の結果出てきたものに対して政治が何もしなくていいということではない。アメリカ型の二極分化社会ではなく中間層の厚みを大切にする、そういった社会を目指して政治はそこに手を入れるべきだ」
総理「社会保障という観点からすると、政府が役割を果たすというのは大きい」「アメリカにもない、北欧型でもない、日本独自の行き方があると思う」
岡田「社会保障に限定して話をするのは小さく捉えすぎている。所得の再分配としての税の問題、教育における実質的な機会の平等の問題、多様な価値観を認める社会、努力しても報われない人に対してきちんと手を差し出す社会、そういった社会を政治が実現する責任があると思う」「あと3年間の任期の中でどういった社会をつくっていくのか、その中で総理として何をされるのか、しっかりと述べるべきではないか」
このときのやり取りは、最近の格差論議を先取りしたものだったと自負している。私のスタンスは、経済のことは基本的に市場に任せるべきとの原則に立ちながら、その結果生じた格差の拡大と固定に対して、政治がこれを放置するのではなく、所得の再分配、公教育の再生などに積極的に取り組むべきとの主張だった。
代表辞任後、平成18年3月の予算委員会では、本格的に格差問題を議論した。
岡田「格差がある、ないの話ではなく、格差が拡大していることについてどう考えているのか」
総理「最低限のセーフティーネットが整備されていれば、格差が広がっても悪いことではないと思っている」
驚くべき総理の発言だった。いままで格差拡大を是認した総理はいなかったと思う。私はこの発言で、小泉総理が典型的な新自由主義者であることを確信した。
結局、格差拡大の問題への対応は次の内閣に持ち越された。私は、所得格差拡大の原因がすべて小泉改革にあるとは思っていない。むしろ、経済のグローバル化に伴い、世界的に同様の現象が発生していると見るべきだろう。
しかし、世帯主が非正規雇用で年収が150万円や200万円しかないというのは明らかに異常なことであり、放置できない問題である。経済のグローバル化は拒否できない現実であり、問題の解決が簡単でないことは事実である。しかし、小泉総理のように「格差拡大は悪いことではない」と言って開き直り、国民が直面している厳しい状況から目を背けてしまうことは、総理大臣として責任放棄だったと強く批判されても仕方ない。
分権改革は小泉改革の失敗の典型の1つである。まず、何のために分権改革を行うのかという基本的考え方が曖昧で、常に「地方に出来ることは地方で」とワンフレーズを繰り返すだけだった。
分権改革は明治以来の中央集権国家という「国のかたち」を変える大きな改革である。地方、とりわけ住民に最も近いところにある基礎自治体(市町村)に権限と財源を移すことで、地方の自立と効率的な行政を実現し、ひいては参加型の民主主義を深めることが、分権改革の意義のはずである。地域間格差や地方の疲弊が言われる。その解決のために、中央が補助金や公共事業を配分するという中央集権型の分配行政で対応するのでは、従来と何ら変わらない。権限と財源を持った地方の自立行政を実現することで、その自己努力による地方再生を実現することが必要である。
小泉分権改革の唯一の成果は、3兆円の税源移譲を実現したことである。しかし、国庫補助負担金、交付税、税源移譲を含む財源配分のあり方を三位一体で検討する(「骨太の基本方針2002」)とした三位一体の改革の中の国庫補助負担金と交付税の改革は全く実現しなかった。
補助金については、4兆円という規模を決定しただけで、その具体的内容を全国知事会など地方6団体に委ねた。そして、地方で具体案をまとめるべきとの総理の指示に従って、6団体は何とか具体案をまとめた。当然、その具体案は尊重されると私は思った。しかし小泉総理は、その具体案をもう一度各省庁に再検討させた。各省庁や族議員は、自らの利権確保のために当初案とは全く異なる内容に変えてしまった。この結果、廃止された補助金はほとんどなく、単に国の補助率を下げただけに終わり、地方の裁量権が増えることはなかったのである。まさしく省あって国なし、各省庁や族議員の既得権益確保の姿が際立った場面だった。そして、小泉総理はこの間、全くリーダーシップを発揮しようとしなかった。
交付税改革についても、基本理念が示されることはなかった。私はまず、財政面における地域間格差をどの程度容認するのかという点と、配分の仕組みそのものをどう改革するのかという点について、方針が示されるべきだったと思う。例えば、地域間格差を2倍の範囲で認めることとしたうえで、その枠内で人口と面積の2つの基準で交付税を配分するといったことが考えられる。しかし、小泉分権改革での結果は、単なる交付税額の削減に終わってしまった。
小泉総理が分権改革に熱心でなかった理由は明確でない。郵政民営化実現ために犠牲となった感がなきにしもあらずである。しかし私は、そもそも小泉総理は分権改革が重要であるとの認識を持たず、単なる歳出削減の材料としてしか捉えていなかったのではないかと思っている。いずれにせよ、大騒ぎしたもののほとんど成果のない改革だった。宮城県の浅野史郎知事が「我々は誘惑され、捨てられたようなものです」と発言したが、小泉総理のリーダーシップを信じた地方自治体首長の本音だろうと思う。
安倍さんは、分権や地方再生に関する具体策がないなかで唯一、道州制の実現を強調している。しかし、道州制導入は何か変わるという印象を与える派手なテーマではあるが、その具体的効用は明確でない。
分権改革にあたっては、住民から見た場合に最も身近な市町村(基礎自治体)の権限・財源の強化こそが重要である。まず、国の補助金制度を色の付かない一括交付金に改めること。そして、市町村合併などにより、基礎自治体の行政能力を高め、そこに現在の政令指定都市並みの権限を付与すれば、分権国家の基盤は出来る。そのとき、都道府県の役割はほとんどなくなり、基礎自治体と国との実質的な2層構造が実現する。そこで都道府県を合併し、州にすることは一案として考えられる。しかし、まず道州制ありきの発想は「上からの改革」の亜流に過ぎず、住民視点の分権改革とは言えないと思う。道州制導入をことさらに唱えることは、本当の分権改革を回避するためのカムフラージュと言えるかもしれない。
分権改革を実現することの難しさは、小泉分権改革が見事に挫折したことで改めて明らかになった。「省あって国なし」の各省庁の対応、自らの権限を守るためにはなりふり構わないその姿を見て、ここまで霞ヶ関の中央省庁も堕落したかと、私は強い失望を感じた。各省庁の代弁者となった族議員たちの反対も相変わらずだった。「自民党は変わった」という言葉がいかに現実離れしているかということを改めて認識させた。本格的な分権改革は、政権交代が実現することで初めて可能になる。
これまで見てきたように、小泉改革は派手さの割に、その成果は限定的だった。詳しく紹介できなかったが、財政再建についても公共事業の量的抑制などはあったものの、歳出構造そのものを改革しようとの発想は乏しかった。その結果、次の内閣が手を緩めれば、すぐ歳出増に戻ってしまう可能性が残った。そもそも、国債発行残高は小泉内閣の下で170兆円も増えたのである。
特に私が残念だったのは、公務員人件費の削減がほとんどなされなかったことで、この点については、小泉内閣発足後間もない時期に何度か国会で議論した。
例えば、平成16年2月の予算委員会で、橋本行政改革以降進んできた国家公務員の定数削減が、小泉内閣になって純減ベースで大幅に小さくなっていることを指摘し、具体的な削減目標を作るべきだと主張した。しかし、各省庁が最も強く反対する人件費の削減はほとんどなされないまま5年間が経過し、ようやく人件費の削減が本格的に議論されるようになったのは、昨年の総選挙のあとだった。
公務員人件費削減は、民間が行ったようなリストラが国家公務員法によって制限されている以上、採用削減という手法を取らざるを得ない。つまり、ある程度時間が必要なのである。したがって、不況下にあっても景気に及ぼす影響は限定的であり、だからこそ、小泉政権スタート後も手を緩めることなく着実に実行すべきだったのである。
しかし現実には、公務員数の純減は5年間で全く進まなかった。小泉総理が無関心だったのか、それとも官僚がしたたかだったのか。いずれにせよ、大きなチャンスを逃した。公務員のスリム化こそが歳出削減の第一歩という私の何度かの指摘を受け止めるだけの感性が、小泉さんにはなかったのだと思う。
政治改革もほとんど進展しなかった。特に、日本歯科医師政治連盟をめぐる違法献金問題発覚に際し、小泉総理は古い自民党を改革するチャンスを活かそうとしなかった。橋本派の1億円の問題については、自民党本部の関与を指摘する声もあるなかで、「党の問題ではない」と断言、いわゆる迂回献金問題についても、これを完全否定した。
小泉総理自身が、従来の自民党の派閥のリーダー出身の総理と比較して、政治とカネの問題に汚染されていないとの印象を国民に与えていたことは、小泉総理にとって大きなプラスになった。しかし、例えば自民党の衆参幹事長が年間15億円以上の政治資金を自民党から受け取りながら(平成16年)、その使途は全く明らかにされていないことや、自民党が政党支部を全国で7600も結成し(平成17年末)、その支部間の政治資金の流れを複雑にすることで、政治献金の公開基準や金額の上限の規定を事実上無意味にしていることなど、政治とカネをめぐる自民党の不透明さは全く改革されることがなかった。「自民党をぶっ壊す」と言いながら、自民党の最も古いところは温存されたのである。
最後に、私が考える改革について明らかにしておきたい。
私は、いま日本に必要とされる大きな改革は、社会保障制度改革、分権改革、そして財政構造改革の3つだと思う。
社会保障制度改革の中心は、年金制度改革である。私が民主党代表時代に国会で最も取り上げたテーマも年金制度改革である。何とか道筋を付けようと努力したが、結局、政府・与党は共済年金と厚生年金の一元化でお茶を濁してしまった。
安倍さんは年金制度改革について、マクロ経済スライドを導入したことで公的年金は安定し、破綻することはないと、著書『美しい国へ』の中で述べている。しかし、前提条件が変われば、保険料率の上限である18.3%と給付の下限である現役世代の収入の50%以上の両立が困難となることは明らかである。3人に1人が保険料を払っていないか払えないという現状にある国民年金についても、具体的な解決策を示していない。私の考えの方向性は、第3章の最後ですでに示したが、専門家とさらに掘り下げて、具体案作りの議論をしたいと考えている。もちろん、年金問題の根本にある少子化対策としての、仕事と家庭の両立支援策の具体化も重要な改革テーマである。
分権改革は、明治以来の中央集権国家という「国のかたち」を変える大きな改革である。基礎自治体への権限・財源の移譲ということを基本に据えて、改革の進め方を具体的に議論すべき段階だと思う。重要なことは、住民に最も近いところにある基礎自治体を基本に据えること、そして住民の力を信頼することである。
分権改革は、自分たちの地域のことは自分たちで責任を持つという住民意識を育てることにもなる。地域のつながりの崩壊が言われるが、自分たちのことを自分たちで決められない地域社会には責任感も強固なつながりもあり得ない。分権改革は地域の活性化だけではなく、地域社会の再生にもつながる大きな改革であるという基本認識が必要である。
財政構造改革は辛い改革である。徹底した歳出削減が必要で、政府・与党間でも、2011年の基礎的財政収支黒字化のための要対応額16.5兆円のうち、11.4~14.3兆円を歳出削減でまかなうことを閣議決定している。しかし、その具体的な内容は、自民党総裁選挙においてほとんど語られることはなかった。
私は昨年の総選挙において、3年間で10兆円の歳出削減を行うことをマニフェストに明記した。歳出削減の内容についても、国直轄公共事業の半減で1.3兆円、国家公務員人件費総額の2割カットで1兆円、特殊法人向け支出の半減で1.8兆円、一括交付金化に伴う補助金総額の2割カットで2.8兆円、さらに、その他経費の1割カット、特別会計の徹底的な見直しなど、具体的な内訳を示した。選挙戦術として正直すぎたとの批判もあるが、国民への説明責任を果たすことが出来たと思っている。政権交代時に歳出削減という困難な課題を実現するためには、あらかじめ国民に明示し、約束しておくことが必要と考えたのである。
11.4~14.3兆円の歳出削減は、単なる無駄遣いをなくすことではとても実現できない。幅広い国民各層にとって痛みを伴う改革である。各省庁そして自民党内の反対も、郵政民営化などいままでの改革とは比較にならないほど大きなものになることは確実である。総理・総裁となる前に具体的な約束なしに、とても出来るとは思えない。景気が上向き、税収増のときこそ、本格的な歳出削減のチャンスであるにもかかわらず、安倍政権の下で当面それが行われる可能性は小さい。本格的な財政構造改革は、政権交代によって既得権とのつながりのない政権が、そして将来に対して責任感あるリーダーが誕生することで、初めて可能になるのである。
最後に、霞ヶ関との関係について大きな改革が必要なことを強調しておきたい。
小泉総理は一見、霞ヶ関と激しく対立しているようで、具体案は官僚任せだった。大きな方向性を総理が示せばよい、というのが基本的考えだったと思うが、具体案作りを丸投げすることで改革の多くは矮小化されてしまった。結構やりやすい総理だったというのが、霞ヶ関の官僚の本音だと思う。
私は、霞ヶ関を使いこなす政治でなければならないと思っている。霞ヶ関との対立を意識して演出するような政治は、一緒のポピュリズムである。確かに、霞ヶ関には省庁や部局の既得権を守ることを最も重要と考える官僚もいる。しかし、「日本のために」という志を持った官僚も多く存在している。能力も高く、情報も持っている。彼らの力を引き出し、活用しながら、最終的には政治家の責任で物事を決めていくという仕組みをつくることが重要である。
各省庁の枠を超えた人事制度、民間との交流、政治任用制度の採用など、霞ヶ関をより良くマネジメントするための改革が大きな改革実現のための前提として必要である。総選挙で私がマニフェストに明示した、局長級以上の人事権を総理に集約するという提案も、このような観点に立ったものである。
いままで小泉改革が不十分だったことを説明してきた。しかし国民の多くには、小泉総理の下で改革が実現したという認識がある。そのギャップは何だったのか。
結局、郵政民営化問題に代表される分かりやすいテーマ設定と、そのスローガンの巧みさが、小泉政治の特徴だったと思う。劇場型政治とは、刺客騒動で沸いた昨年の総選挙に際して言われたことだが、小泉政治全体が劇場型政治だった。国民の多くが目の前で繰り広げられる、抵抗勢力というモンスターと小泉さんの戦いに拍手を送った。
本来、改革論議は制度論であり、専門的知識に基づく深い議論が求められる。それを単純化して語ることについて、小泉総理は天才的だった。しかし、単純化の過程で多くの本質的議論が省かれ、時にはウソに近い発言や説明がまかり通ったことも事実である。しかし、そういう指摘は国民や一部メディアの歓声にかき消され、真面目な改革論議に焦点が当たることは少なかった。「岡田は真面目すぎる」とのコメントをメディアからいただくことも多かった。しかし、そもそも真面目であることが評価されない政治とは良い政治なのだろうか。
小泉政治の巧みなメディア戦略あるいはメディア操作は、いままでなかったことである。しかし、国民の側にこれを受け入れる共鳴盤がなければ、劇場型政治は持続しなかったはずである。時代の閉塞感や不安感の中で、一部の国民の目には、いままでの自民党リーダーにないタイプの小泉さんの言動が、時に大きな敵に立ち向かうドンキホーテ、そして時に白馬の騎士のように映ったのだろうか。
私は、アジア外交を小泉総理と議論したときに、国民の一部が示した狭いナショナリズムとも言うべき反応と、昨年の総選挙において多くの国民が示した熱狂とに、何か共通するものがあるのではという感覚を持っている。そして、そのことを懸念している。
自民党総裁選挙では、アジア外交や社会保障、財政といった、いま日本が直面している大きな問題を正面から取り上げ、真面目に自説を主張する谷垣さんの支持率が低迷した。他方で、自民党支持者ばかりか自民党の国会議員の大部分までもが、雪崩を打って曖昧な主張を繰り返す安倍さんを支持した。小泉政治を支えた国民感情はいまでも持続し、安倍人気を支えている。
もちろん、私は過度に悲観的になっているわけではない。私は、いままで日本人は賢明な判断をしてきたと思うし、これからも大きな判断を誤ることはないと確信している。このことは、私が政治活動を始めて以来、約18年間地元の有権者と接するなかで抱いた信念である。この半年間も地元で小集会を160回以上開催し、約4500人の普通の人々と対話してきた。日本人の賢明さを再認識し、教えられることの多い日々だった。
しかし、いま国民が感じている何か満たされない気持ち、将来に対する不安があるなかで、これに対して政治家が真摯に答えようとしなければ、ポピュリズム政治や狭いナショナリズムを鼓舞する政治に陥る危険性があることも事実である。
もちろん、民主党が安倍自民党とポピュリズムを競い合ったり、狭いナショナリズムを煽ったりする政治になってしまっては、日本に未来はない。
劇場型政治に終止符を打ち、いま日本が直面している問題を正面から説明し、国民の理解を得ながら大きな改革を実現することで日本の将来展望を切り開いていく、そんな本物の政治を実現することが我々の責任である。
私が目指す日本は、多様な価値観や生き方の存在を互いに認め合うなかで、それぞれが自由に生きることの出来る国である。したがって、政治が個人個人の生き方に介入することには、よほど慎重でなければならない。例えば、政治家がことさらに偏狭なナショナリズムを煽り立てるような政治は、私の目指す政治とは対極にある。
自由であるためには、日本が平和で豊かでなくてはならない。改革は平和で豊かな日本を次世代に引き継ぐために乗り越えなければならない試練である。
国民に対し、なぜ改革が必要なのか、そして、そのための痛みを分かち合うことの大切さを真摯に説明することから、本当の改革はスタートする。その際、まずリーダーや政治家、政党が自らを厳しく律することが、厳しい改革に対する国民の理解と共感を得ることにつながる。
10年後に世界がモデルとするような平和で豊かで、かつ自由な素晴らしい日本が実現することを目指して、これからもひるむことなく力強く歩んでいきたい。
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