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活動レポート 岡田かつやの活動の記録

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第4章 自己目的化した民営化論議

1)迷走した道路公団民営化論議

高速道路の建設にあたる道路公団の民営化は、小泉総理にとって郵政民営化と並ぶ構造改革の目玉政策と位置付けられた。

私は、道路公団民営化とその背景にある高速道路建設計画の見直しは、財政構造改革の中の公共事業見直しのさらにその一部でしかなく、構造改革の本丸とは必ずしも思わない。重要なことは、このままでは持続不可能となっている財政を再建するために徹底的な歳出削減を行うことであり、公共投資についても、現在の水準を欧米主要国並みの対GDP(国内総生産)比、すなわち現在の半分にすることを目標に、投資対象の選択と集中、徹底したコスト削減を行うことである。

このような公共事業全体の見直しの中で、高速道路計画の見直しも当然必要となる。特に、採算の合わない高速道路を建設し続けることは、最終的には多額の税投入を迫られることとなる。将来世代に大きな負担を残さないために、高度成長期に策定された過大な計画に何とか歯止めをかけなければならない。このことこそが、高速道路計画の見直しの本質である。

しかし、すでに建設が決まった路線を見直すことは簡単ではない。改革派知事といわれる人たちまでもが、高速道路見直しに反対してきたことは象徴的である。

実は私の選挙区にも第二名神高速道路と東海環状自動車道という高速道路の計画がある。このうち、私は第二名神については、現在のルートとほぼ並行して東名阪自動車道がすでに存在していること、加えて、大部分が高架設計の一般国道である北勢バイパスも建設中であることから、建設スケジュールを見直すべきではないかと問題提起している。私以外の三重県の国会議員全員が就任した「第二名神建設促進県民協議会」の顧問となることも4年前の設立当初から断っている。しかし、地元の首長や地方議員からは評判が悪く、自民党からは、第二名神が着工できないのは岡田代議士のせいだと格好の批判の標的になってきた。高速道路建設に地方負担はない。将来採算が取れなくても、地方は関係ない。そして、地元建設業者に仕事が回ってくるのみならず、用地も高く買ってくれる。地元負担のない高速道路は地方にとって、基本的に大歓迎なのである。

国として、地方や道路族議員・道路建設官僚の反対を押し切って建設計画の見直しを行うことは容易なことではない。そういう中で、高速道路の今後の建設について、民間企業の採算性の観点からの判断に委ねることとし、その前提として道路公団を民営化するという手法が有力視されたのである。道路公団が民営化されれば採算の合わない高速道路は造らない、だからこそ民営化することが無駄な高速道路建設の抑制につながるという議論は分かりやすい。私も当初、道路公団民営化論に一定の期待をした1人である。

ただし、民営化はあくまで無駄な高速道路を造らないための手段だったはずである。しかし、小泉総理の道路公団民営化論議は、いつの間にか民営化することが自己目的化し、何のために民営化するのかという本質論、すなわち高速道路計画をどう縮小するのかという議論やコスト削減に民営化をどう活用するのかという議論は置き去りにされた。国会の内外で莫大な時間とエネルギーをかけて議論したものの、得られたものは極めて少なかった。スローガン優先の中身のない改革、典型的な小泉改革の失敗事例と言える。

小泉総理は、道路公団民営化は大きな成果を上げたと自賛するものの、当初の政策目的を達することの出来なかった完全な失敗であったことは明らかである。端的に言えば、自民党道路族との調整の中で、民営化という“名”は取ったものの、無駄な高速道路は造らないという“実”は完全に取られたと言える。

見送られた整備計画の凍結

平成13年11月の予算委員会で、私はまず本四架橋(本州四国連絡橋)の失敗の事例を取り上げた。平成12年度で、料金収入870億円に対し金利と管理費の負担が1630億円、料金収入で建設のための借入金を返済するどころか、年々莫大な赤字が累積する構造になっている。なぜこのような失敗が起こったのか小泉総理に質問した。

この質問に対する小泉総理の答弁は、実はかなり的を射たものであった。

「道路を造るという声はどこでも多く、しかも地元には税金でやるということが自分たちの負担になるという意識が薄い。このため政治家として地元の要求を拒否するのは難しく、結果的にはみんなやりますということになり、負担だけが後に残る。こういうことの見直しが必要であり、そこが構造改革である」

当時の自民党有力者の我田引水的な要望を調整することが出来ず、本州・四国の間に3本の橋を同時期に架けるという愚かな決定を行ったことの本質を突いたものであり、我が意を得たりの思いで答弁を聞いた。

そこで、私は道路公団について、東名や名神などすでに償却が終わった高採算路線がある一方で、18路線が本四架橋と同様に料金収入で管理費と利息すら払えない状況にあり、このまま建設計画を進めていけば将来大きな負担になる可能性があること、また、民間シンクタンク「構想日本」のレポートによると、将来、料金収入によって借入金を返済することが不可能になるのみならず、最大44兆円の税投入が必要になる可能性があることを指摘したうえで、したがって、民営化論議の前に、いまある整備計画をどうするかという議論がまず必要ではないか、具体的には、整備計画のうち残る約2400㎞を一旦凍結して採算性を見直し、採算の合わないものは建設しないことが大切ではないかと繰り返し主張した。本四架橋の愚を繰り返すな、との思いだった。

これに対して小泉総理は「今までの計画を維持する、継続するということはあり得ないんです。見直すんです」と答弁したものの、整備計画を凍結するとの明言はなく、極めて歯切れが悪かった。

実は、この質疑の前日に、自民党の古賀誠道路調査会長が「整備計画は変えない」と発言していた。私としては、古賀発言を打ち消すような総理答弁を期待したものの、空振りに終わったのである。自民党道路族との全面対決は避けたいという小泉総理の思いが透けて見えた。高速道路見直し論議の先行きに不安を感じさせる答弁だった。

しかし、私は質疑の最後に、「いいことを総理が言われるときには率先して賛成していきたいと思っているので、しっかりとした改革案を作っていただきたい」と発言した。私の小泉総理に対する期待はまだ残っていたのである。

見えてきた全体像

次に道路公団について質問したのは、3カ月後の平成14年2月の予算委員会である。このときまでに政府は、新たな組織は民営化を前提に平成17年度までに発足、国費は平成14年度以降投入しない、償還期間は50年を上限とし、その短縮を目指すという基本方針(「特殊法人等整理合理化計画」)を閣議決定していた。その中には、後に「道路関係四公団民営化推進委員会」と呼ばれることになる第三者機関を設け、道路公団民営化の具体策を検討することも定められていた。

このときの私と小泉総理との質疑では、整備計画すべてを建設するという前提で第三者機関が議論するのか、それとも一部建設しないこともあるのかということがまず焦点となった。

私が指摘したのは、民営化会社をつくるのであれば、その会社がどこにどれだけ投資するかを自己決定することが出来なければ、本来の意味での民営化会社とは言えないという点である。そのためには、民営化会社が整備計画すべてを建設するという前提を置くべきでないと指摘した。そもそも、道路公団を民営化すれば採算の合わない投資はしない、無駄な道路を造らないために民営化する、というのが道路公団民営化論議のスタートだったはずであり、私の指摘は当然のことのはずである。

しかし小泉総理は、整備計画すべてを建設するのかという私の再三の質問に対し、「それは、法案が出た段階で議論してください」と繰り返すだけで、踏み込んだ答弁は避けた。こんな基本的な問題にも答えない小泉総理に質問していて、私は段々腹が立ってきた。

何度か押し問答するうちに、小泉総理は自ら答弁することを止めて石原伸晃行革担当大臣に答弁を任せた。ここで真面目な石原大臣がつい口を滑らせてしまったのが、民営化にあたっての上下分離、すなわち高速道路の所有と管理を別の法人が行うという案の採用可能性である。この上下分離案については以前から議論されてはいたが、担当大臣が国会の場で言及したのは初めてだったのではないかと思う。

石原大臣は「一体型で民営化した場合は、もちろん委員御指摘のとおり、どこに投資をするのかということの権限がなければその民間会社が成り立たないというのはごもっともでございますが、どのように民営化するかということも、組織形態についても、実はこの第三者機関で御議論いただきます」と答弁した。

しかし、これは大変な答弁である。仮に道路の管理のみを行う民営化会社であるなら、採算に合わない道路を造らないために民営化するという議論のスタートが崩れてしまう。何のために民営化するのかという道路公団民営化論の根本が一気に不透明になってきたことを実感させる答弁だった。

この間小泉総理は、上下分離案というとんでもない妥協案が早々と表に出てしまったことに苛立ったのか、私の質問の最中に盛んにヤジを飛ばした。総理が委員会で質問者をヤジることなど前代未聞で、これまでであれば考えられなかったことである。私も思わず、「総理、椅子に座ってぶつぶつ言ってないで上下分離という選択肢はあるのかどうか答えてください」と質問したが、小泉総理は「道路4公団、一体で民営化ですよ」という答弁を繰り返した。

上下分離はあるのかとの質問に対して「一体で民営化」という、一見上下分離はないかのような印象を与える答弁である。しかしこれこそが、小泉総理得意のはぐらかし答弁である。その場で聞いていた大半の人が、総理が上下分離はないと発言したと錯覚したと思うが、注意深く聞くと、紛らわしい表現をしているものの、決して上下一体で民営化するとは言ってないのである。あえて上下という言葉を外して「一体で民営化」と答弁したところが、小泉総理の巧みさであり、言葉を換えれば不誠実さである。

この日の議論は、あとから考えると極めて興味深い。すなわち、民営化会社だけが高速道路を造るのではなく、不採算路線については、税金で高速道路を造ることで整備計画は基本的に全部完成させる、民間に高速道路の建設・所有から運営まで一体でやらせるのではなく、上下分離することで民営化法人は投資リスクを基本的に負わないというような、本来イメージされる民営化とはかけ離れたとんでもない道路公団民営化の道筋が、このときの小泉総理や石原大臣の答弁から見えてくるのである。

総選挙、民主党は高速道路無料化を主張

平成15年11月、衆議院の解散・総選挙が行われた。この間、民主党は平成14年12月に鳩山代表から菅代表に交代、私は政調会長から幹事長代理を経て、幹事長に就任していた。このときの争点の1つが高速道路の問題で、自民党はそのマニフェストで、「民営化推進委員会の意見を基本的に尊重し、2005年度から四公団を民営化する法案を2004年の通常国会に提出する」と約束した。

これに対して民主党が掲げたのが高速道路の無料化だった。この構想は、民主党のブレーンの1人だった山﨑養世氏が提唱したものを、菅代表が採用したものである。

高速道路無料化は多くの国が採用している政策であり、非常識とか人気取りとの批判は当たらない。無料化実現のためには、維持管理費を含め年間約2兆円の税金投入が必要となる。しかし、いまガソリン税など道路整備に充てられている自動車関連の税金を負担している自動車の10~15%が一般道路ではなく高速道路を走行している。税収のうちその比率の分だけは高速道路の維持管理に使うということも十分説明可能である。菅代表らしい大胆な政策ではある。

選挙のときには、例えば長野県に応援に行った際に、中央高速が無料になれば、長野への観光客がどんと増えるだけでなく、長野の農産物が安く東京に出荷でき、長野は大きな恩恵を受けることが出来るなどと演説した。結構関心を呼んだと思う。

しかし、実は私は最初この政策を聞いたときに違和感を禁じ得なかった。当初は、党としての政策決定の場である『次の内閣(ネクスト・キャビネット)』で、私は無料化に使えるだけの財源があれば、将来の増税を抑制するために使うべきであるとか、高速道路の無料化は民主党が環境政策の一環として打ち出していた鉄道や内航海運などへのモーダルシフトとも矛盾するのではないかとの疑問を呈していた。

そして、むしろ民主党としてどのようにして高速道路計画を見直すのか、特に焦点となっていた第二名神、第二東名をどう考えるのか、道路公団を具体的にどのように民営化するのか、こういった点をしっかりと政策としてマニフェストで打ち出すべきとの思いもあった。しかし、菅代表が総選挙の目玉として用意した政策であり、かつ党内でも異論は少なかった。幹事長である私も賛成すべきであると最終的には判断した。

総選挙では、斬新な発想の政策であると評価する声がある一方で、人気取りのバラマキとの批判もあった。高速道路は有料なのが当然との意識があるなかで、無料化のメリットを十分浸透させるだけの時間的余裕がなかったことは残念だった。同時に、このように政府案と全く次元の異なる提案をすると議論が発散してしまい、政府の民営化案の問題についての議論が結果として弱くなってしまったことは否めない。つまり、総選挙で高速道路見直し論議はすれ違いで、深まらないまま終わってしまった。

私が高速道路無料化政策に若干の疑問を感じていたときに、たまたま民営化推進委員会の猪瀬直樹氏から電話があった。当時、私は道路公団民営化について民営化推進委員会での改革論議に注目し、猪瀬氏とも連絡を取り合っていた。電話の中で猪瀬氏から、民主党も高速道路無料化などと言わずに民営化推進委員会を後押ししてほしいとの話があり、私も知人だからとつい気を許して、無料化構想に若干の疑問を述べた。選挙時に猪瀬氏が、岡田幹事長は本当は無料化に反対だとテレビで語るのを見て、率直に話したことを少し後悔した。

空中分解した民営化構想

前回の質疑から2年後の平成16年2月の予算委員会、総選挙を終えての通常国会の大きなテーマが道路公団民営化だった。この時点では道路4公団民営化関連法案の概要はすでに固まっていた。

しかしその過程で、総理の肝煎りでつくられた民営化推進委員会はすでに空中分解。平成15年12月に政府・与党協議会が決定した民営化の基本的枠組みに対し、委員長代理だった田中一昭氏は「政府案は公団方式の焼き直しにすぎない」「委員会の意見を尊重するという閣議決定に反する」と厳しく批判し、松田昌士氏とともに委員を辞任するに至っていた。田中氏を中心とする3人の委員が主張していたのは、永久的な上下分離案はあまりにひどいということで、10年後を目途に民営化会社が道路資産を買い取り、上下一体とするという案だった。民営化推進委員会が小泉総理に提出した意見書も同様の趣旨であった。

そもそも、この民営化法人は極めて奇妙な存在である。総理は将来株式の上場を目指すと言うが、法律上、高速道路は45年後に借金をすべて返済して通行料金を無料化することになっている。それでは将来どうやって利益を上げるかということだが、現在の付帯業務であるサービスエリアの経営などで利益を上げるという説明である。料金収入とそれによる高速道路の建設という現時点における本業が将来なくなる会社が有望であると考え、株式上場時にその株式を買う人が果たしてどれだけいるのだろうか。

しかも、民営化会社は高速道路の建設と維持管理は行うが、出来上がった高速道路の所有は独立行政法人である「日本高速道路保有・債務返済機構」が行うことになっている。道路を建設したあとに、その道路資産とその建設に要した借入金をともに機構に移すことになっているわけである。自らコスト負担のリスクを負わない民営化会社が道路建設を行って、果たしてコスト削減というインセンティブがどれだけ働くのだろうか。田中氏らが主張した10年後に民営化会社が道路資産を買い取るというのは、コスト負担を民営化会社に負わせるためのぎりぎりの妥協案だったのである。政府の民営化法案は、まさしく公団方式の焼き直しに過ぎない極めて中身のない改革だった。

私は、小泉総理がかつて「50年、60年かけて公団の借金を償還するようではもう私は死んでいる。少なくとも30年以内で、かつ税金も投入しないでやるべきだ」と発言したことを取り上げた。

小泉総理は「45年で債務の確実な返済を目指しています」「民間にできないところはどうやって国の税金、地方の税金、あるいは国民の負担によって、必要な道路はどうやって造っていくかということが大事」と悪びれることなく前言を翻した。高速道路に税金投入しないという話が、いつの間にか民営化会社の建設には税金投入しないが、別のやり方で高速道路を税金で造ることになってしまった。

痛いところを突かれたときに逆ギレして猛然と反撃するという小泉総理の習性はこのときも発揮された。

「これは極めて大きな改革でありまして、民主党の言う高速道路無料化論に比べれば、はるかに大胆な、税負担の少ないなかで必要な道路を造る画期的な改革案だと自負しております」と小泉総理は完全に開き直った。

私は「総理はあと45年間生きるつもりだということがよく分かりました。50年じゃなくて、45年なら御本人もまだ生きられるということなんでしょうか」と返した。「30年以内に償還」という約束が果たされなかったことへの皮肉だった。

その上で私は、何のための民営化なのかという本質論を再度提起した。現在の高速道路建設は、昭和41年という日本経済の高度成長がいまだ期待された時代に、全国に高速道路ネットワークを構築するために制定された国土開発幹線自動車道建設法(国幹道法)に基づいている。国が建設すべき高速道路として定められた予定路線は、バブル時代の昭和62年に現在の11520㎞まで拡大された。予定路線の中で、区間や規格などを具体化した着工待ち路線を定めたものが整備計画であり、平成11年に現在の9342㎞となった。

しかし、すでに建設された高速道路の一部には、将来にわたり採算の取れない路線の存在があり、整備計画のうち今後建設に着手予定の残り約2400㎞について、採算面からの全面的な見直しをすべきではないかということが指摘されてきた。このことこそが最も重要な政策テーマであり、そして、そのための手段としての道路公団民営化だったはずである。

したがって、無駄な高速道路を造らないと言うなら、いまある整備計画9342㎞の中で、どれだけ造らない道路があるのか明確にすべきと重ねて質したが、総理は「具体的な実際の数については、国交大臣にお願いします」と明言を避けた。

石原大臣は、抜本的に見直す143㎞以外は、税金を投入する新直轄方式を含めて全部建設すると率直に答弁。無駄な高速道路を造らないために民営化するということがスタート時点の民営化の意義だったにもかかわらず、いつの間にか税金を使ってでも整備計画のほとんどすべてを完成させるということになってしまっている。この根本的な矛盾について、結局何ら説明されることはなかった。

石原大臣は、整備計画はほとんどすべて実現するがコストは引き下げる、だから民営化の意義はある、という論理を展開した。具体的には、合計6.5兆円のコスト削減をインターチェンジのコンパクト化や6車線を4車線にすることなどによって4兆円、大規模改修事業の先送りなどにより2.5兆円と説明した。

しかし、これは民営化会社が自分で判断した結果ではなく、国土交通省が自ら作成した事業案の計画を変更したものであって、単なる机上の計画になる可能性の大きいものである。少なくとも民営化会社誕生前に出来た計画であり、民営化すればコスト削減につながることの説明には全くなっていない。この時点でコスト削減のための計画変更が出来、それが実行できるのであれば、公団のままでも可能という議論も成り立つことになる。

小泉総理は「民営化の議論がなかったら、こんなコスト削減できませんよ」と答弁したが、それでは民営化することで民営化法人が利益を求めて効率的な経営を行いコスト削減するということではなく、民営化の論議が出てきたから官僚もコスト削減論議に真剣になったと述べているに過ぎないことになる。

実は、この日の質疑は途中で私と小泉総理の双方がかなり感情的になってしまった。コスト削減を石原大臣と私が激しく議論している間、小泉総理はずっと目をつぶって聞いていた。私は議論の最後に、総理の肝煎りで民営化論議がスタートしたが、出来上がったものは全く似ても似つかないものだったと指摘したうえで、次に年金の議論に移ろうとした。

そのとき、小泉総理が突然目を開けて「答弁できるよ」と発言。そして、答弁の中で民主党の無料化案を批判し、政府案が画期的な改革であると猛然と反論を始めた。最後は双方が相手の発言を無礼だ、失礼だと言い合うまでにエキサイトしてしまった。道路公団民営化の失敗は明らかで、マスコミも有識者も強く批判していた。小泉総理も心穏やかならぬものがあったのだと思う。

結局、何のための民営化だったのか

代表退任後の平成18年3月2日、予算委員会の最終日に私は小泉総理に対して質問に立った。選挙の責任を取って代表を辞任した以上、当面は役職に就かないと決めていたが、一議員として小泉総理と議論したいと思い、希望して予算委員になった。ここで9342㎞の整備計画の話を再度質問した。

実は、2月7日の国土交通省の国土開発幹線自動車道建設会議(国幹会議)において、整備区間1153㎞と新直轄区間123㎞の建設が新たに決定、整備計画9342㎞のほぼすべての建設が最終的に確定していた。

私は「小泉総理は無駄な道路は造らない、だから道路公団を民営化する必要があると言ったが、国幹会議ではほとんどの道路を造ることになった。結局、無駄な道路はなかったということか」と小泉総理を挑発した。小泉総理は、整備計画のうち抜本的見直し区間となっていた68㎞は今回着工しないことと、第二名神の35㎞については必要性を再確認するまで事実上凍結することを誇らしげに語った。

しかし、数年間にわたり国会やメディアがあれだけ大騒ぎした道路公団民営化の成果がわずか合計103㎞の凍結(中止ではない)に過ぎなかったことに愕然とする人は多いのではないか。そして、その他の路線はすべて建設されることになった。民営化された道路公団が造らない、明らかに採算の取れない路線については新直轄方式、すなわち税金によって建設することとなり、採算性の悪い高速道路計画の見直しという本来の政策目的は全く達成されなかった。

加えて民営化会社自体が、自らリスクを取る民間会社とはほど遠い、国が設立した特殊会社であり、当面は100%国の資本のままであるということも考えると、道路公団民営化は明らかに中身のない改革だったと断言できる。

小泉総理はこの日の質疑の中で、苦し紛れに9342㎞の整備計画以外の予定路線約2200㎞は白紙であると突然強調した。本当に白紙に戻すのなら、それなりに意味がある。しかし、予定路線は国幹道法に明記されている。法改正し、そこを変更するという具体的動きは政府になく、その場しのぎの答弁としか映らなかった。総理大臣の国会答弁も軽くなったものである。
この最後の質疑の中で、小泉総理はかなり感情的になって「民主党関係者も高速道路の早期整備を希望してきている。民主党はどうなっているのか」と2度繰り返した。私の質問とは何の関係もない答弁である。

いままでの高速道路建設は地元負担ゼロであり、地元からすると負担なしで高速道路が出来る。高速道路が赤字であったとしても、ないよりあったほうがいいし、建設にあたってお金も地元に落ちる。つまり、環境問題を除けば悪い話はあまりない。だからこそ、民主党関係者も含めて、地元の高速道路建設についてあえて反対しないし、もっと言えば反対できないのである。私自身、地元の第二名神の建設スケジュールを見直すべきと4年前に発言したとき、周囲から自分の選挙も考えろと強く忠告された。

しかし、このような各論賛成の結果、赤字路線がどんどん出来ることになれば、それは将来の世代の負担、すなわち増税で対応せざるを得ないことになる。このことについて、実は総理自身が5年前、平成13年11月の予算委員会の私の質問に対して明確に答えていたのである。

「税金でやるということが自分達の負担になるという意識が薄い」「将来的には負担だけが後に残る。こういうことの見直しが必要でありそこが構造改革である」

この小泉総理の答弁に基づけば、今回の道路公団民営化は将来の負担増の余地を大きく残しており、構造改革とはとても言えないことになる。国の財政と国民の将来負担を考えたときに、本当に現在の整備計画に示された路線すべてが必要かどうかの判断を総理はきちんとしたのかと、私は最後に質問した。しかし、総理からは明確な答弁はなかった。総理自身、道路公団民営化が完全な失敗であったことは十分に認識しているはずだし、だからこそ、私との質疑の中で何度も感情的になって反論したのだと思う。

公共事業の徹底見直しを

小泉政権の下で、公共事業の見直しが大幅に進んだとの主張がある。確かに、バブル後の景気対策として公共事業が大盤振る舞いされた平成7年度には、公共投資の対GDP比は6.4%となり、そのときと比べれば、平成18年度現在の規模は4割減の3.7%となっている。小泉総理は景気低迷の中で公共事業量を削減した。これは従来の自民党政権ではなかったことで、私はこの点は評価している。

しかし、対GDP比で見ると、ドイツ1.4%、英国1.8%、米国2.5%、フランス3.2%(いずれも2004年)など、欧米主要国と比べ、日本の公共投資規模はなお高いことも事実である。

そして、高速道路にとどまらず、整備新幹線の計画を着々と進めていることや関西に3空港を整備していること、農地余りの時代の農業土木予算の温存など、小泉政権の下で公共事業の中身の見直しは進まなかった。

2011年のプライマリーバランス(基礎的財政収支)黒字化の目標達成のためには、あらゆる歳出項目の徹底見直しが必要である。とりわけ公共事業の見直しは、現在の計画が右肩上がりの時代の発想で作られたものであり、人口減少時代に見合ったものになっていない。大きな発想の転換が必要なのである。小泉総理はこの点で極めて不十分だったと思う。

小泉総理の公共事業見直しの手法で問題だったのは、一律削減方式のような一時的数字合わせに終わってしまったことである。単に量的に押さえ込んだだけであり、何かの弾みで簡単に元に戻る可能性がある。

重要なことは、内容を吟味し、必要性の低いものを思い切ってカットするとともに、重要なところには重点的に予算配分するという、選択と集中である。例えば、予想される大規模地震への対応、特に公立学校の耐震構造の強化などは早急に対応する必要がある。また、グローバル化する経済の中で、競争力を強化するための国際ハブ港湾・空港の整備などにも思い切った集中投資が必要である。アジアの時代を迎え、北米航路もその多くが津軽海峡を通過するなかで、日本海側への投資シフトも必要だろう。

公共投資が必要か必要でないかの判断は、当事者であるそれぞれの事業官庁任せにすることは出来ない。まず、事業継続が疑わしい大規模プロジェクトについては工事を中断することである。その上で、財政再建計画と整合性の取れた公共事業予算の総額を決定し、その総額に収まるように個別の計画を見直さなければならない。

その際、道路や河川、港湾、農業土木など、省庁あるいは省庁内の局ごとの縦割りを排除して、本当に必要か否かを決定するためには省庁横断的な組織で見直さなければ、実効性は上がらない。総理大臣直属の組織または内閣府の下に副総理級の大臣が責任者を務める見直し組織を設けることで、省益・局益を廃した見直しを行うべきだろう。

地方自治体が主体となって行う補助事業については、自治体ごとの公共事業補助金の総額を半減し、かつ一括交付金としたうえで、どの事業を廃止するかは自治体の判断に任せることにしてはどうだろうか。

私は、構造改革とは、経済の右肩上がりの時代を前提とした諸制度を、人口減少時代の到来と経済のグローバル化というこれからの新たな潮流に合った制度に変えることだと考えている。高度経済成長時代の発想を色濃く残す公共事業計画の抜本的見直しこそ、構造改革そのものである。

バブル経済の崩壊を経験し、民間企業は事業計画の徹底した見直しを行い、新たな計画に対応した体制を整えるために過剰な設備や人員のリストラを行った。それが出来なかった企業は市場から退場した。いまだに過大な公共事業投資計画の本格的な見直しが出来ない政府は極めて無責任であり、国民の立場に立った政治がなされていないことの象徴である。

単に一律に中途半端な削減をして数字合わせをしたり、形ばかりの民営化で「改革した」と強弁したりの小泉自民党政権の公共事業政策は、構造改革の名に値しない。思い切った選択と集中により規模の大幅な削減と必要な事業の確保を両立するという構造改革こそが、いま政治がなすべきことである。

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