トピックス

2011.05.12|夕刊フジ

夕刊フジコラム「ズバリ直球」11年5月12日号

私はGW後半の4、5日、来年4月以降の新しい沖縄振興策について意見交換するため、沖縄に出かけてきた。民主党は、党本部と沖縄県連とで構成する「沖縄協議会」を設置しており、私はその座長を務めている。沖縄訪問は今年3回目だ。

本土復帰から40年。これまでの沖縄振興策は、「本土並み」を合言葉に、インフラ整備を中心に進められてきた。失業率や県民所得など、改善すべき課題はまだあるものの、「アジアの時代」といわれるなか、沖縄は本土とアジア各国の中間にある地理的利点があるうえ、少子化の中で人口が増加しているなど、明るい材料も多い。

民主党は現在、東日本大震災への対応に全力を挙げている。仲井真弘多知事は「こういう時に、来ていただくだけでもありがたい」と話していたが、党としては震災対応とともに、沖縄振興もしっかりと後押ししていきたいと考えている。これからも何度も沖縄に足を運ぶつもりだ。

7、8日は、震災と原発事故で苦しむ福島を再び訪ねた。

まず、7日は原発近くから会津方面に避難している葛尾村、楢葉町、大熊町の役場の仮庁舎などを訪ね、町村長や避難住民の方々と意見交換をした。震災から2カ月、仮設住宅の建設が具体化し、子供たちが地元の学校に通い始めるなど明るい話題もあったが、今なお苦しい状況は続いている。疲労も限界に近づいていると思う。

畜産農家からは、残してきた牛や豚などを心配して、「補償や処分に関し国の方針を早く示してほしい」という声が数多く寄せられた。これまで人命最優先で避難を進めてきたが、家畜やペットをどうするか、持ち主の意見に十分配慮して対応する必要がある。

8日には原発から5キロの浪江町を訪れた。一般の立ち入りが禁じられている警戒区域で、震災の傷跡がまだ生々しく残っている。

そこでは、警察や消防、自衛隊の皆さんが、行方不明者の捜索活動を行っていた。自衛隊は福島の部隊で、震災直後は宮城で救援・捜索活動を行っていたが、原発がやや安定化してきたため戻ってきたという。

私が「お疲れじゃないですか?」と聞くと、隊の幹部は「地元のために頑張ろうと、隊員の士気は高いです」と答えてくれた。行方不明の家族を何とか見つけ出してほしいと願う郷土の人々のために、献身的に任務に取り組む姿が印象的だった。

計画的避難区域に指定され、全村避難となる飯舘村も訪れた。菅野典雄村長からは「特別養護老人ホームに約100人の高齢者がいる。計画的避難となると各地にバラバラになり、身内とも離ればなれになる。自分が責任を取るから動かさないでほしい」と要請された。

また、南相馬市では、警戒区域の100メートル内側にあり、操業停止中の化学工場を訪ねた。工場関係者は「隣の工場は警戒区域外のため、操業再開の準備をしている。このままでは従業員100人が職を失う。どうか柔軟な対応をしてほしい」と訴えられた。

生命・身体の安全、健康に関わる問題だけに、安易に何でも認めるわけにはいかないが、例外を認めるべきか否か、どういう基準で例外を認めるか、早急に結論を出さなければならない。

今回、多くの人々に会い、現場を直接見てきた。GW中、当面の生活支援や復旧に必要な4兆円規模の第1次補正予算を成立させたが、今回の福島訪問も踏まえ、本格的復興に向けた第2次補正予算をつくっていきたいと思う。




TOP