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2002.07.31|その他

日本のガバナンスのために政権交代は当たり前という構造に変えていく

小泉政権の制度改革は妥協の産物に終わる

今ほど政治に対する国民の信頼感が欠けている時はない。その理由としては、国民が政治や政治家を非常に遠い存在と見ているということだ。ある意味では軽んじていると言ってもいい。
今国会で問題になった「政治とカネ」の関係に代表されるように、政治家の方に相当の原因があるのは事実だ。

国民の側にそういう距離感や認識がある限り政治に対する信頼感は出てこない。そこが一番の問題だと思う。

では我々政治家はどうすべきか。国民や有権者に向かって「政治とはそういうものではない。認識を是非、改めてもらいたい」と主張しているのだが、これがなかなか難しい。

我々は国民から託されて議席を得て仕事をしているわけだから、厳しく身を律していくしかない。「政治とカネ」の問題についても説明責任を果たしていくことが最低限必要だろう。

と同時に日本の政治が、これまで大したことをしてこなかったことも大きな理由だと思う。米国で1年間生活した時に一番感じたことは、国民が政治に重きを置いているということだ。当時はレーガン政権の時代だったが、政治によって自分たちの生活が左右されることを国民はよく理解し、重視していた。

日本では小泉純一郎首相が登場して、国民と政治、あるいは政治家との間の距離感が一時的に縮まったように見えたが、残念ながら現実にはそれも長続きしなかった。

その原因のひとつは、小泉首相自身が国民との約束を果たしておらず、国民の期待を裏切ったからだと思う。 首相サイドからは「政権発足からまだ1年しかたっていないのだから成果を求めるのは早い」という声が出ている。確かに効果が出るまでには時間はかかるかもしれない。しかし、その前提となる制度改革はすぐに出来ていいはずだ。ところが、それが出来ていないところに問題がある。

例えば不良債権処理は進まず、医療制度改革も患者負担を増やすだけに終わっている。郵政改革も自民党内での妥協の産物に終わり、道路公団の民営化も後退を重ねている。

このほか小泉首相の言葉の「軽さ」にも一因があると思う。委員会質疑の中で3度ほど首相と議論したが、首相の答弁には深みがなかった。

例を挙げると有事法制についての議論だ。有事法制には(1)有事の際に自衛隊が効率的に動けるように法律で保証する(2)その一方で実力集団である自衛隊を動かせば、国民の基本的人権を制約する恐れがあることから、そうしないためのルールをきちんと作っておく――という二つの意味を持っている。

ところが小泉首相は「自衛隊を効率的に動かすことで国民を守るんだ」と1点目を強調するばかりで、2点目の重要性については分かっていないようだった。

今国会でも40本もの議員立法を提出した

そうした中で民主党は何をすべきだろうか。やはり政権交代が当たり前という政治構造に変えていくために力を尽くすということだろう。

民主党は政権を取るために結成した政党だ。それは、単に政権を取ることに意味があるのではなく、政権を取ることによって日本を変え、良くすることに重要な意義がある。

民主党結成からの約4年間、我々は自民党に負けないほどの政策立案能力を身につけてきた。今国会だけでも40本もの議員立法を提出したほどだ。今国会で無認可保育所の届け出制や危険運転の重罰化などの法案が成立したが、これらはいずれも民主党が前国会で法案提出したものだ。

他にも医療制度改革法案、行政に関する内部告発者保護法案、企業に対する危険情報開示法案、くわえタバコ禁止法案なども提出済みだ。

ただ党内に「政権を取る」という結党当時の初心が薄れてきている部分があることが心配だ。「居心地がいいから」と野党でいることに満足している人さえいる。

ここは、もう一度、初心に戻って「政権を取る。日本の政治を良くする」という共通の目標を目指すことが組織として重要だ。そうすれば党としての力が発揮されると思う。

民主党がめざす「分権連邦国家」

ところで、日本全体のガバナンス(統治)を良くするためにも地方分権は欠かせない。 民主党は、税源を地方に移譲することを基本にすべきだと主張してきた。

地方交付税については簡素化し、基準をより客観化して全体のボリュームを絞るべきであり、補助金もやめて財源を基本的に都道府県や市町村に移譲すべきだと言ってきた。

その結果、政府レベルからも地方分権の重要性についての認識が出始めるようになった。

また先進的な県知事を中心に中央に提言するなど「モノを言う姿勢」が出てきた。大きな前進だ。これまでは旧自治省に対する遠慮があったのかもしれないが、地方自治体の人々は分権に関する具体論を日々論じる中で、もっと主張すべきだろう。

かつては中央省庁の官僚の中に「受け皿論」というものがあったが、今はそれを言うものはいなくなった。今は受け皿論を言うほど自分たちも立派ではない、中央省庁は絶対に間違わない、正しい存在だ、無謬だと、さすがに言えなくなったということではないか。

民主党では今、道州制をどう考えるかを議論しているところだ。党としては「分権連邦国家」を目指すという意味で道州制に賛成の立場をとっているが、問題はそれにどんな権限を持たせるか、ということだ。

今はまだ具体的なイメージができていない段階だ。その場合、「国はけしからんけど、州は立派だ」という単純な発想に立つべきではないと思う。住民から見た場合、遠くにあるものという意味では、国も州も同じだからだ。

その観点から、私は住民の生活に直結する市町村という基礎自治体を重視していくべきだと考えている。市町村に国や都道府県の権限や財源のうち、かなりのものを移すのがいいと思う。

ただし市町村の規模は、自分の頭で考え、意思決定していくためにも最低でも10万人ぐらいの固まりにしていった方がいい。そうすると全国で約1000自治体ということになる。他方で政令指定都市が増えていけば、都道府県の役割はこの部分に関してはほとんどなくなる。その意味では、今までの国、都道府県、市町村という3階建てに対して政令指定都市と国の2階建て、中小都市については都道府県がある程度の役割を果たす3階建てで、全体として2・5階建てということになる。 地方分権や道州制――いずれも住民の視点で考えていくべき課題だ。




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