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1998.03.18|国会会議録

142回 衆議院・予算委員会

岡田委員 きょうは、私も四時間目になりますので、幾つか積み残した問題を議論しておきたいと思いますが、そのまず第一は、武力行使の問題について少し議論したいと思います。

武力行使の問題は、例えば既にこの委員会でも何度も議論されております日米防衛協力のガイドラインの関係の立法をするに当たっても、武力行使に当たらない範囲ということは当然前提になるわけでありますが、その線引きの問題というのは立法上当然出てくるわけでございます。

あるいは、今提案をされる予定、もう閣議決定を経ておりますけれども、PKOの見直しにつきましても、これは武力行使そのものではございません、武器の使用ということでありますが、武器の使用の方法について、従来の国会での政府側の答弁とは違う考え方で法改正が出てくる、こういうふうに理解をしております。

したがって、その背景にある武力行使というものについてきちんとした考え方の整理をしておく必要があるのではないか、そういうふうに思って、きょうは、外務大臣、防衛庁長官、そして法制局長官と少し議論させていただきたいと思っております。

言うまでもなく、憲法九条は第一項で、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」こういうふうに書いておりまして、これをもって、基本的に日本というのは武力行使が禁じられている、こういうふうになっていると思います。ただ、個別的自衛権の範囲での武力行使というものは、これは国家の基本権、生存権からくるものとしてこれを認める、こういう考え方だと思います。

まず、私の今申し上げた武力行使についての九条の考え方は以上でよろしいかどうか、法制局長官、お願いしたいと思います。

大森政府委員 ただいま委員が要約してお答えになったところ、そのとおりであろうと私も考えております。

岡田委員 それでは、これは外務大臣と防衛庁長官にそれぞれお聞きしたいと思いますが、なぜ憲法九条は、我が国の武力行使、個別的自衛権の範囲を除きますと、簡単に言うと海外での武力行使ということになると思いますが、海外における我が国の武力行使を憲法九条は禁じているのか。そこの基本的考え方は何なのか。そこに立ち戻らないといろいろな議論が混乱するわけでありますので、そこについて、外務大臣、防衛庁長官、それぞれのお考えを聞かせていただきたいと思います。

小渕国務大臣 憲法九条のもとにおいて認められる自衛権の発動としては、武力の行使については、政府は、従来から、我が国に対する急迫不正の侵害があること、これを排除するための他の適当な手段がないこと及び必要最小限度の実力行使にとどまるべきことという三要件に該当する場合に限られておると解しておりまして、こうした要件に該当しない場合には、憲法上、許されないと考えております。

そこで、海外における武力行使についてでございますが、この自衛権の発動の今申し上げた三要件に該当するものがあるとすれば、憲法上の理論としてはそのような行動が許されないわけではない、このように考えております。

久間国務大臣 なぜ武力行使を憲法九条が禁じたかと言われましても、私は立法に携わっておりませんからわかりませんが、恐らく戦前のあのような戦争を反省し、我が国が海外に、あるいはまた他国に対して武力を行使して、二度と戦争は起きないという、そういう趣旨から設けられたんだと思っております。

まあ、だからといって、我が国が急迫不正の侵害があったときにどうするかというのは別問題でございますから、それについては、先ほど法制局長官から述べられましたような、そういう解釈でこれは許されておるんだ。しかし、その場合にも必要最小限ということでの枠がはまっておりますから、必要最小限ということになると、まあ海外へ行って武力行使をするということは、特殊な場合を除く限りは非常に考えられないというようなことから、従来から海外への武力行使は非常に厳格に解釈上もとってきたんじゃないか、そういうふうに思っております。

岡田委員 実態論でいえば、恐らく、戦争が終わって、日本が二度と強力な軍事国家として立ち上がれないようにという米軍を初め戦勝国側の意図があって、日本の武力行使あるいは武装そのものも禁じたというのが実態かとは思います。

しかし、この憲法も五十年たって、日本国民としてそれを受け入れてきたわけでありますから、そういう立法者の一つの意図は意図として、日本国として、なぜ日本は海外で武力行使をしないことに憲法上しているのかということについて、やはりきちっとした考え方が私は要るんだろう、そういうふうに思います。また、そういう考え方がおかしいというのであれば、これは憲法改正という話になってくるわけでありますが。

今、防衛庁長官は、さきの戦争における一つの反省という観点に立ってこういう九条、海外における武力行使というものを封じている、こういう御説明があったかと思いますが、外務大臣は、今の防衛庁長官の答弁も踏まえまして、いかがお考えでしょうか。

小渕国務大臣 戦後、憲法が新憲法として発布されてまいりまして、憲法の制定過程におきまして本院におきましても種々議論があったところでございますが、そうした過程の中で、今防衛庁長官もお話しのように、過去の反省にのっとって新憲法もつくられたということは当然のことだろうというふうに思っております。

岡田委員 国際的に見れば、こういう形で海外における武力行使を禁じているという例は余りないだろうというふうに思います。いわば、みずからみずからの手を縛っているわけでございます。その背景にあるのは、私も、やはりさきの戦争における反省ということが九条の根幹にある、そこはやはり踏まえて考えていかなければいけないんじゃないか、そういうふうに思っているところでございます。

以上の議論について、法制局長官、何か御意見ございますか。

大森政府委員 九条の趣旨は、その前提として、日本国憲法の前段で述べられている決意にやはり立ち戻らなければならないのではなかろうかと考えているわけでございます。

前文におきましては、御承知のとおり、日本国民は、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、そして、恒久の平和を念願し、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した、このようにその決意を宣明しておりまして、これを受けまして、この決意を実現するために、第九条におきまして、国権の発動たる戦争、武力による威嚇または武力の行使を放棄するとともに、いかなる戦力も保持せず、交戦権も認めない、このように規定していると理解されるわけであります。

しかしながら、冒頭で委員も御指摘になりましたように、これによって我が国が主権国として持つ固有の自衛権までも否定するものではない。したがって、我が国に対し武力攻撃が発生した場合に、これを排除するため必要最小限度の実力を行使すること、及びそのための必要最小限度の実力を保持することまでも禁止しているものではないというふうに解されているところであります。

そこで、先ほど海外における武力行使の御指摘があったわけでございますが、先ほど両大臣から、場合によっては海外における武力行使も認められる余地があるのではないかと聞き取れるような答弁がちょっとございましたが、その点について誤解を避けるために申し上げておきますと、いわゆる海外派兵まで認められるという趣旨じゃなかったはずでございます。

多分、我が国に対し外部からの武力攻撃がある場合に、自衛権の行使として認められる限度内においては、その自衛行動自体は、我が国の領土、領海、領空においてばかりでなく、公海、公空においてこれに対処することがあっても、直ちに憲法の禁止するところではない。その限度内において、我が国の領域外に及ぶことがあり得べしということを言及されたのであろうと思います。

しかしながら、他国の領域内まで武力行使の目的で実力部隊を派遣するということは、憲法の厳に禁止されているところであるというふうに考えている次第でございます。

岡田委員 従来の国会答弁では、我が国が武力による攻撃を受けたときに、相手側の基地をミサイルでたたくことは、場合によっては可能である、こういう答弁もあったというふうに記憶をしておりますが、今の長官のお話は、しかし部隊を派遣することはだめだ、そういう御答弁だったと思います。

そこで、この武力行使に絡んで、私は、三つぐらい今大きな問題が出てきているのじゃないかというふうに思っております。

それは、一つは、国連軍、あるいはもう少し幅広く国連の決議を受けた多国籍軍への参加問題というのが一つだと思います。もう一つは集団的自衛権の問題。三番目が武力行使の一体性の議論。この三つぐらいをきちんと整理していく必要があるのではないか、そういうふうに思っております。

国連軍への参加、あるいは国連決議を受けた多国籍軍への参加につきましては、いろいろな議論が国会の場でも行われておりますが、私は、昭和三十六年二月二十二日の予算委員会における当時の林法制局長官の御答弁を読んでおりまして、ちょっと私が従来理解していた大森長官あるいは工藤長官の答弁とややニュアンスが違うのではないか、そういうふうに感じたわけでございます。

ここで林長官が述べておられる中で、こういうくだりがあるのですね。国連というものに統合しまして、各国の兵隊とか、あるいは各国の組織というものをそこで解消して、各国は人員だけ供出して一定の統合したものをつくってしまう、こういうことになりますと、実は憲法九条の文言から見ますと、日本が主権国家として行動するわけでも何でもないわけです。こういう答弁があります。

この答弁は、最近の法制局の答弁とは少しニュアンスが異なるのではないか。御存じのように、小沢一郎さんが「日本改造計画」の中で、国連軍に対しての参加というものは、これは国権の発動でないから九条の問題でないんだ、こういう論理を展開しておられるわけですが、それにやや相通ずるものがある御答弁ではないかというふうに思うわけですが、長官、いかがでしょうか。

大森政府委員 ただいま委員が一部を御朗読なさいました一九六一年二月二十二日の当時の林法制局長官の答弁、これは同趣旨の答弁は相前後して何回にもわたって述べられているわけでございますが、そこで述べられております趣旨、考え方と、私どもが現在とっている考え方との間には、何らそごがないというふうに考えているわけでございます。

この当時の林法制局長官の述べられました趣旨と申しますのは、将来、いわゆる理想的国際社会が実現して、国連が国内社会における警察のような役割を果たすようになった場合における、我が国のそのような国連の警察活動への参加の問題についての答弁であるというふうに理解されるものでございまして、その場合には、国連憲章も現在のものとは大きく異なった姿となっているということが前提でありまして、現行の国連憲章上の国連軍への参加の可否についての答弁ではなかったはずでございます。

そして、ちなみに現在の国連憲章第四十二条、四十三条に規定されております国連軍につきましては、従前から私どもが申し上げておりますように、憲法九条の解釈、運用の積み重ねから推論いたしますと、我が国がこれに参加することには憲法上の疑義があるというふうに考えているわけでございます。

憲法問題でございますから、疑義がある限りは我が国としてこれをやってはいけないわけでございますが、ただ、断定的に結論を述べておらないゆえんのところは、要するにまだ国連軍というのは、このような憲章上の正規の国連軍の話でございますが、いまだ設けられたことがなく、そのための前提となる特別協定もいかなる内容になるか不明であります。

したがって、将来、その編成が現実の問題となり、兵力の提供に関する特別協定の具体的内容が確定したときに初めて確定的な意見が申し上げられるということ、これも従前から申し上げているところであります。これは、何も結論を逃げているわけじゃございませんで、具体的な特別協定がどうなるかが決まらなければ、確定的な憲法判断ができないということでございます。

それを若干申し上げますと、要するに、国連軍への参加というのは、我が国の主権行為が基点になることは間違いございません。ただ、その上で、その参加をした我が国の組織が国連軍の中でどう位置づけられ、それに対する指揮の形態がどうなるのか、あるいは撤収の要件あるいは手続がどう定められるのかということが、その参加した我が国の組織の行動がなお我が国の武力の行使に当たるかどうかという評価にやはり決定的な影響を及ぼす。したがいまして、特別協定が決まらなければ、そのあたりの確定的な評価ができない、こういうことでございます。

岡田委員 今のようなお話だと、実際上は参加は不可能だ。具体的な話、特別協定までできないと決められないということでは、予測不可能といいますか、あらかじめ決められないということでは、実際には参加できないだろうと思うのですね。本来であれば、きちんと、こういう場合にはいいということを政府として決めておくべきだ。それが国際的な責任を果たしていくことになるのじゃないかというふうに思うわけであります。

しかし、実は私も、今の憲法九条で国連軍への参加とか、あるいは国連軍というのは相当長期にわたってできないと思いますから、余り議論する実益はないと思うのですが、例えば国連決議に基づく多国籍軍への参加、そういうものについて、これは国権の発動ではないということで憲法九条の問題でないというのは、私はかなり無理があるのかなという感じがしております。

しかし、したがって、これは憲法解釈論ではなくなるのかもしれませんが、それでは、先ほどの、日本が海外における武力行使をなぜ禁じているかという、そこの本論に戻ったときに、本当に日本というのはそういった国連の活動に対して背を向けていていいのかという議論は、私は、憲法の解釈論を横に置いたときにやはりあるのじゃないか、こういうふうに思うのですね。

基本的に国連の枠組みというのは、国際的に平和、安定を乱すものが出てきたときには国連加盟国が協力してそれを封じていく、そのためには武力行使もいとわない、そういう基本的なフレームワークだと思います。そのことを認めており、あるいは受益しているのは日本であります。日本も、日本が侵略を受けた場合には国連による助けというものは当然想定をしている。日米安保条約も、とりあえずは日米で日本を守るということでありますが、その先には国連によって守られるということも念頭に置いた条文になっております。

そういう中で、では、同じような立場に置かれたある国があるときに、国際的に不法な方法によってみずからの存在あるいは平和というものが危機に陥っている、そういう国家があるときに、日本は、みずからはそれに守られることを期待しながら、日本としてはそれには参加をしませんというのが果たして常識にかなったことなのかどうか。

それが、日本は小さな国であればともかくとして、今や常任理事国を目指そうという、そういう存在でありますし、あるいは経済的にも大変大きな存在であります。そういうことを考えると、憲法解釈論は別として、私は、やはり日本として、武力の行使ということも含めて、例えば国連軍に参加する、あるいは国連決議があるときに多国籍軍に参加をするということも視野に置くべきじゃないか、こういうふうに思うわけですが、外務大臣、いかがでしょうか。

小渕国務大臣 国連がその決議によりまして、武力行使によりまして紛争を解決するということを行ってきたことは事実でございますが、我が国としては、我が国の憲法にのっとりまして、そうした多国籍軍等に参加をするということはあり得ないわけでございましたので、そういう意味からいえば、我が国としては我が国の立場で対処してきたということだろうと思います。

一般的に、ある意味の世界の常識的なことと我が国のとってまいりました対応について、世界の中でいろいろの批判があることも承知をいたしております。例を申し上げれば、湾岸戦争におきましては、我が国としては多大な資金を提供することによってその平和の維持のために努力をしてきたということが、我が国の法制上の立場からいえば精いっぱいの努力であった、こういうふうに理解しております。

岡田委員 最初の話に戻るのですが、なぜ我々は憲法において海外における武力行使を禁じているのか。やはりさきの戦争における反省というものがあって、みずから手を縛っているということだと思うのですね。

そうだとすると、確かに憲法の条文上はかなり無理があると先ほど私は申し上げましたが、しかし、基本的な考え方として、そういう形でみずからの手を縛っている、その背景にあるのは過去の戦争に対する反省だということでありますと、国連軍への参加とか国連決議に基づく多国籍軍への参加というものは、そういった武力行使をすることそのものについて、日本が決めるわけではなくて、国連の場で決まることであります。

そういうものについて、つまり日本がみずから判断して武力行使をするのではなくて、公の場で、オーソライズされた場で決まった武力行使に参加をするという決断をするだけであります。そういうものについては、私は、憲法の趣旨からいっても、武力行使をすることがおかしなことではない、そういうふうに思うわけですが、法制局長官、いかがでしょうか。

大森政府委員 ただいま委員の述べられました御意見が、現行憲法を前提としてなのか、憲法改正を前提としてなのか、若干聞き取りにくい点があったわけでございますけれども、現行憲法のもとにおきましては、湾岸戦争の際の多国籍軍へ我が国が参加することは、これはできないというふうに考えているわけでございます。

ただ、憲法を改正してそのような組織に参加することができるようにすべきかどうかという点につきましては、これは高度の政治的な判断の問題でございますし、ひいては日本国民の総意が那辺にあるかということを十分見定めて決定すべきことでございまして、現在、私の立場から、どうあるべきであるということを述べることは差し控えるべきではなかろうかというふうに考えております。

岡田委員 この問題はこの辺にしたいと思いますが、私は、かつて西ドイツ軍が、NATOの中の一員として、みずからの判断をせずにNATOに参加をするという形でのみ武力行使というものを認めてきた、そういう中でヨーロッパの信頼関係を回復してきた、そういう歴史があると思います。みずからの判断では武力行使をしない。

それに対して、日本というのは、海外における武力行使は一切しませんということでアジアの国の信頼をかち得ようとしてきた。しかし、結果的には、日本の場合にはそのことにうまく成功していない、そういうふうに思うわけでございます。

したがって、先ほど言ったような、将来的には憲法の改正があるいは必要になるかもしれませんが、国連決議に基づく多国籍軍への参加、あるいはその前のステップとしてPKFへの参加、そういうものをきちんと進めていく、そういう中で信頼関係をかち得ていくということが重要ではないか、そういうふうに思っているところでございます。

次に、時間の関係もございますので、集団的自衛権についてお聞きをしたいと思うのです。

集団的自衛権について国会でもいろいろ議論になるのですが、私がお聞きしておりまして、非常に議論が混乱しているというふうに思うわけでございます。集団的自衛権の定義をまずきちんと頭に置いて議論をしていかないと、議論は混乱するばかりだというふうに思います。

従来の集団的自衛権の定義、もう時間もありませんので法制局の今までの定義を申し上げますと、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利だ、そういうふうに述べられていると思います。ここで言う実力をもって阻止する権利というときの実力というものは一体何なのか。武力行使というふうに考えていいのか。あるいは、武力行使や武力の威嚇よりももっと広い概念なのか。そこのところ、長官、いかがでしょうか。

大森政府委員 この集団的自衛権の定義の中で触れられていますように、攻撃に対してこれを実力でもって阻止するという関連で実力という言葉が用いられているわけでございますから、武力攻撃を阻止するという観点から見ますと、武力をもってというのとほぼ同意義で使われている用語であろうというふうには理解しております。

ただ、問題は、武力による威嚇とか、あるいはそれ以外の支援行為はこれとは関係ないじゃないかというところまでおっしゃるかどうかの問題があるわけですけれども、それは、また次の問題にいたしたいと思います。

岡田委員 今長官が少しお述べになったことに関係するわけですが、この予算委員会の場でも、例えば資金提供をするのは集団的自衛権の問題であるとか、あるいは後方支援、後方支援も定義によると思いますが、それも集団的自衛権の問題であるかのように論じられたこともあります。

しかし、私は、それは間違いだというふうに思うわけですね。集団的自衛権というのは基本的には自衛権の行使ということでありますから、武力をもって相手方の武力攻撃を阻止するというのが集団的自衛権の本質である、こういうふうに思うわけでございます。

したがって、資金提供などは、もちろんこれは集団的自衛権の問題ではないし、それから後方支援というのは非常に微妙な問題がありますが、例えば離れたところで水や食糧を供給するなどというのも集団的自衛権の問題ではない、こういうふうに考えるわけですが、ここはいかがでしょうか。

大森政府委員 確かに、過去におきまして、資金提供も集団的自衛権の行使として認められないのじゃないかという国会における御質問があり、結論として、それは実力の行使に当たらないのだからということで、集団的自衛権行使に当たらないというふうに議論された経過はあるわけでございます。

もう一つは、後方支援の問題でございますが、後方支援自体は武力の行使とほぼ同意義における実力の行使に当たらない、それ自体は当たらないことは御指摘のとおりでございますけれども、ただ、その行為自体は武力の行使に当たらないといたしましても、他国による武力の行使とある一定の密接な関係を持つことによって、自国も武力の行使をしているという評価を受けるに至る場合があるのではなかろうかというのが一体化の議論でございまして、他国による武力の行使または武力による威嚇と一体化しないという条件つきで、そのようなものは我が憲法上禁止されておらないということが言えようかと思います。

岡田委員 時間の関係もありますので、二つあわせて長官に質問したいと思います。

一つは、集団的自衛権というものを憲法九条が許容しているということになったときに、憲法九条の存在意義というのはどこにあるのだろうか、私には、侵略戦争を禁じているという意味しかなくなるのではないか。したがって、それは、日本の憲法が他国の憲法に比べて特に武力行使というものについて慎重であるという、そういうことではなくなって、ごく当たり前のことを書いているにすぎないということになるのではなかろうか、こう思っているわけですが、この点が一点です。

それからもう一つは、集団的自衛権というのは、自然権として持っている、持っているけれども行使できないというのは非常におかしなことだ、こういう議論があります。私は、一般論として言えば、自然権として権利は持っているけれども、それがいろいろな意味で行使が制限されるというのは、これは法律の世界では何らおかしなことではないし、自衛権ということですから、おかしいという議論もありますが、それをあえて書いたのが憲法九条だ、その背景にあるのは、先ほど長官のおっしゃったような前文の趣旨でありますとか、あるいは過去の戦争に対する反省だ、こういうふうに考えるわけですが、この点について、法制局のお考えを聞かせていただきたいと思います。

大森政府委員 集団的自衛権に当たるから認められないとか、集団的自衛権に当たらないのだから認められるという、集団的自衛権を核にした議論がよくなされるわけでございますけれども、我が国の問題に関する限りは、やはり集団的自衛権の概念を解するのではなくて、我が国を防衛するために必要最小限度の行動に当たるかどうかということが基準になるはずでございます。

したがいまして、冒頭にも申し上げましたとおり、憲法九条は、国際紛争を解決する手段としては武力による威嚇または武力の行使等を禁止しているけれども、我が国を防衛するために必要最小限度の実力行動は禁止していない。したがって、問題となる行為が我が国を防衛するために必要最小限度の行為であるかどうかということによって事が決せられるべきであるというふうに考える次第でございます。(岡田委員「持っているけれども行使できないというのは」と呼ぶ)国際法上は集団的自衛権を主権国家であるから保有しているのである、これは国際法上そのように解せられておりますから、従前も政府の答弁としてもそのように答弁してきているわけでございますが、やはりそれに対しまして、我が国は最高法規としての憲法によりまして、我が国の行動を縛っているわけでございます、言葉は悪いかもしれませんが。

したがいまして、憲法九条によって、武力による威嚇または武力の行使に当たることはいたしません、やってはいけませんと。したがって、行動の面で縛っているわけでございますから、集団的自衛権の行使というのはその観点から認められない。国際法上は保有していると言えても、その行使は憲法で禁止されているんだということは、何らおかしいことでないということは従前から反論しているわけでございます。

岡田委員 そこで次に、武力行使の一体性の議論に簡単に触れたいと思います。

武力行使の一体性につきましては、従来から、地理的な関係でありますとか、我が方の具体的な行為内容、あるいは武力行使を行っているものとの密接性、相手方の活動の現状、状況、そういうものを総合勘案して一体かどうかを判断する、こういう御答弁が何度もされていると思います。

これは、こういう一体性のある行動をとったときに、相手方から見て、それが我が国の武力行使というふうに見られるということで武力行使の一体性の議論というのは出てきているのでしょうか。私には非常にこの一体性の議論というのはわかりにくい。

武力行使かどうかというのはある程度判断できますが、一体性で、今言った四条件を初め、いろいろなことを総合勘案して決めろと言われても、例えば現場はどうなりますか。現場で、例えば何かの行動を現場の自衛隊の方がしようとするときに、これが一体性があって武力行使に連なってしまう、あるいは連ならない、そういう判断を現場にさせることになりませんか。

そのことは、僕は、非常に酷な話だし、それから実際には、論理の世界ではそういう精緻な議論を展開されるのはいいのですけれども、現実にはほとんど意味のないことではないか、そういうふうに思うわけですが、いかがでしょうか。

大森政府委員 一体化しているかどうかというのは他人から見た他人の判断であるかという趣旨のお尋ねがございましたけれども、要するに、この一体化の議論と申しますのは、くどく申して恐縮ですが、仮にみずからは直接武力の行使または武力による威嚇をしていないとしても、他のものが行う武力の行使等への関与の密接性から我が国も武力の行使または武力による威嚇をしたとの評価を受ける場合があるということを前提としておりまして、これはいわば法的判断に、法的評価に伴う当然の事理を述べたものである、法的評価の問題である。

したがいまして、他人がそういうふうに言われるからやめておくのだという問題ではございませんで、やはり行う主体の側において、自分の行動が客観的にそのように評価されるということになる限りは主体的にやってはいけない問題である、その主体的判断の基準であるということでございます。

それからもう一点は、そういってもその基準が非常に不明確であるから、現場で判断を強いることになるのは不都合ではないかという御指摘でございますが、確かに個々具体的な判断ということの宿命といたしましてそのような御懸念が生ずることはごもっともでございますが、だからこそ、そういう現場で時々刻々の判断にかからせることのないように、あらかじめ類型的に一体化が生じないような行為を限定して、例えばガイドライン等で後方支援をする場合には、あらかじめ類型的に閣議等で決定をいたしまして、その範囲内で、一体化が生じないような範囲内において行うということが確保されるべきであるということを常々私どもも述べてきているところでございます。

岡田委員 一体化という概念を一つつくられたわけですけれども、これは、憲法上禁じているのは武力行使そのものだ、だから、立法政策として法律の世界で、憲法上禁じられた武力行使というものをより万全に、武力行使をしないということを万全にするために、法律上そういう一体化というものを入れるというのならまだわかるのですけれども、憲法上一体化したものもだめだということになると、それは、私は、憲法の解釈を変えている、そういうふうに思うわけでございます。それで何かいいことがあればいいのですけれども、私は、かえって現場の混乱も招くし、話をわかりにくくしているのじゃないか、そういうふうに思っているところでございます。

私は、そういう意味で、武力行使の一体性の議論というのはやめて、武力行使に当たるかどうかということで議論していった方が議論としてはずっとわかりやすい、こういうふうに思っております。長官、何かございましたら。

大森政府委員 憲法上は武力による威嚇または武力の行使を禁止しているのであって、それと一体化する行為まで禁止してはいないじゃないかと。確かに、明文上はそのとおりでございますけれども、ただ、武力による行使等を禁止しているということは、憲法上の法的評価としてそれと同様の評価を受ける行為まで禁止しておるというふうに理解せざるを得ないわけでございまして、これは、法的評価に伴う当然の事理を述べたものであるというのはそのような趣旨でございます。

岡田委員 この議論は、引き続き安全保障委員会その他で行いたいと思います。

私は、要約になりますけれども、国連軍への参加あるいは国連決議に基づく多国籍軍参加は、憲法解釈としてはやや疑義があると思いますが、憲法というものをわきに置いたときに、憲法の趣旨ということからいえば、日本もそれに参加をしていくというのが将来の方向であろうというふうに思います。それから、集団的自衛権というのは、私は、憲法の趣旨からいって認めるべきでない、こういうふうに思います。武力行使の一体性については、非常にわかりにくい概念で、やめた方がすっきりする、そういうふうに思っているところでございます。

またこの議論は引き続きさせていただきたいと思いますので、外務大臣、防衛庁長官、法制局長官、結構ですので、お帰りください。

次に、時間も限られておりますので駆け足でやりたいと思いますが、景気対策について一言触れたいと思います。

まず、日銀の金融経済月報が昨日発表されまして、この中で、従来よりもさらに厳しい景気についての見方をしているわけであります。基本的見解の最初の始まりが、我が国の景気は停滞を続けており、下押し圧力が強まりつつあるというのが日銀の判断であります。

それからもう一つは、QE、四半期別国民所得統計速報が三月に出まして、これも非常に厳しい見通しになっております。このQEの見通しでは、昨年の十―十二の成長率がマイナス〇・二%ということであったわけですが、その中で、内需の寄与度がマイナスの〇・八、それから外需の寄与度がプラスの〇・六、結果としてマイナス〇・二。つまり、十―十二は内需は大きく落ち込んだ、しかしそれを輸出で稼いで、しかし稼ぎ足らずに、結局、結果的にマイナスの〇・二という伸び率になった。これは、年率に直すとマイナスの〇・七だということでございます。

きのうも企画庁長官、少し御答弁ありましたけれども、こういう日銀の見方、あるいは国民所得統計速報が出たということを踏まえて、従来の景気判断について、何か考え方は変えられたのでしょうか。

尾身国務大臣 昨年の十月―十二月のQEでありますが、今岡田委員おっしゃるとおり、マイナス〇・二%という数字になりました。十一月前後からアジアの問題あるいは金融システムの不安感というものが非常に強くなってまいりまして、その結果として、消費者及び企業のコンフィデンスが非常に低くなってきているという状況を踏まえて、昨年の最後の四半期、十月―十二月についてはかなり厳しい数字が出るというふうに予想をしていたところでございますが、現実にマイナス〇・二%という数字を見まして、それ自体大変重く受けとめているところでございます。

ただ、十二月以降一月ごろまで、心理的な状況は大変厳しい状況でございましたが、金融システム安定化対策が実施されるなど、金融システムについての不安感がほとんど解消されてきたというふうに理解をしておりまして、そういう点が株価等に反映していると思っております。

そういうわけで、少しずれ込んで実体経済にマイナスの影響が来ているわけでございますが、例えば、全体として景気指標は厳しくなっているわけでありますけれども、一月の小売販売とかあるいは鉱工業生産のように前期比で下げどまってきているものもございまして、私どもとしては、景気の現状、なお停滞が続き厳しい状況であるというふうに認識しておりますが、そういう点で、従来よりもさらに悪化してきているというふうには必ずしも考えておりませんで、なお停滞が続いている局面であると理解をしております。

岡田委員 この十―十二の水準が、一―三も横ばいであった、つまり成長率がゼロだったという想定をいたしますと、今年度の経済成長はマイナス〇・三ぐらいになるかと思うのですが、ちょっと確認したいと思います。

いずれにしても、一―三は、確かに十一月、十二月と比べれば金融に対するクレジットクランチというかそういうものも多少手が緩んだかもしれないなと。それからもう一つは、減税の効果が二月から出てくる、こういうことはあるかと思いますが、どうも実感としては、一―三というのは十―十二よりきついのじゃないか、こういう感じもいたします。

仮に横ばいだとすると、今年度の経済成長率はマイナス〇・三%だ。これは、オイルショックの後の昭和四十九年度のマイナス〇・五%と並び、戦後二回目のマイナス成長だ、こういうことになるわけでございます。私は、これは極めて深刻な状況じゃないか。オイルショックの後のマイナス成長というのは、これはその前が高度成長だったということもあるかもしれませんが、当時は大変な騒ぎでありました。あれと匹敵するような状況に今なっている、そういう認識は長官にございますか。

尾身国務大臣 一―三がどうなるかということは、ただいま私ども必ずしも確定的なことを申し上げる段階ではございませんが、機械的に計算をいたしますと、一―三月で一・六%の伸びを示しすということになれば、年度ベースで実績見通しの〇・一%の伸びが達成できる、こういうことになるわけでございますが、この点につきましてはかなり厳しい状況にあるというふうに認識をしております。

それで、確かに、機械的に計算をいたしますると、一―三月の伸びが十月―十二月の水準と同じであればマイナス〇・三%になるということでございますが、結果的にどうなりますか。十一月、十二月にコンフィデンスが非常に下がっているという状況があり、一月からはその点についてはやや好転をしているわけでございますし、九月から一月までの消費性向等を見ましても非常に急激に下がっている状況でございまして、そういう状況を反映して、十月―十二月がかなり低い、〇・二%マイナスという数字でございまして、なお注意深く状況を見守ってまいりたいと考えている次第でございます。

岡田委員 一―三がどうなるかわかりませんが、仮に今年度がマイナス〇・三%ということになりますと、政府経済見通しでは〇・一%だったと思うのですね、それをベースにして、来年度は一・九だと。しかし、大分発射台が下がっていますから、私は、それだけでも一・九というのは非常に難しくなっている、そういうふうに思うわけですね。私は、来年度の政府経済見通しというのはもう達成不可能になりつつあるというふうに思うわけでございます。時間がございませんのでこれ以上申し上げませんが。

最後に、長官、ずっとこの場で議論をしてきて、財政措置を伴った景気対策、補正ですね、これについては何もおっしゃらないという状況が続いております。この予算委員会も、もう余り日程がございません。我々は頑張ってもう少し議論したいと思いますが、しかしどこかで採決ということになるんだと思います。

もし、そういう状況で、とにかく今の当初予算を通すのが最大の景気対策だとおっしゃり続けて、採決をして、そしてその後で仮に補正予算を伴うような景気対策を打ち出されたときに、参議院の存在というものについて政府がどう考えておられるか、これは非常に深刻な問題を投げかけることになる。

我々も、予算が通った瞬間に補正の話がぼんと正式に出てくれば、これは、この審議は何だったのかということで極めておかしなことになると思います。それに加えて、今の予算を通すことが最大の景気対策といいながら、参議院の審議の前に、あるいは途中に補正を打ち出す、こういうことで、そちらの面からも非常に大きな問題を投げかけることになる、そういうふうに私は申し上げておきたいと思います。そういうことにならないことを私としては願っているところでございます。

言葉をかえれば、この予算を通す前にきちんと追加的な景気対策の必要性について政府がお述べになることを、私としては期待しているわけでございます。もし何かございましたら、簡単にお願いします。

尾身国務大臣 十年度予算及び関係法案を一日も早く通していただくことが最大の景気対策であるとお願いを申し上げているわけでございますが、私ども、総理の御指示もございまして、自民党の第四次緊急国民経済対策等を受けまして、規制緩和を中心とする経済活性化のためのプログラム等につきまして現在検討中でございます。

現在、経済が停滞をしておりまして非常に厳しい状況にございますが、我が国経済の再構築を大胆に進める好機というふうに現在の状況をとらえることもできるわけでございまして、短期的な経済対策をいろいろやる場合におきましても、民間活力中心の経済構造を構築して、我が国経済を中長期的に体質強化、改善をするという方向性をしっかりと踏まえてまいりたいと考えている次第でございます。

もとより、経済は生き物でございますから、時々刻々変わる状況に対応して適時適切な運営に努めてまいりたい、そして、そういうことも全部ひっくるめまして、十年度の一・九%は実現をしていきたいと思っておりますし、必ず実現できると考えている次第でございます。

岡田委員 最後に大蔵大臣にお聞きしますが、景気対策の最後という意味ですが、先般、銀行に対する資本注入、二十一行に対して約一・八兆円の注入が終わったということであります。

質問の第一は、三月末までにこれ以上の追加的な資本注入があるかどうかというのが第一点であります。

第二点は、三月末を越えた時点でここで一段落するわけでありますが、その後資本注入を希望する金融機関が出てきた場合に、どういう考え方でそれに対処していくのか。

具体的にいいますと、三月末日の緊急避難的な時期は越えたわけでありますから、私は、資本注入をする前に、八%の基準について四苦八苦している金融機関は、資本注入を受けるよりは、むしろ海外から撤退をして、四%の世界に移行するということが基本的に望まれることじゃないか。無理に八%の世界で生き残ろうとして国から資本注入まで受けて、そして、毎年度毎年度、三月末に大騒ぎになる。

そういうことじゃなくて、国際的に見れば、海外展開をしている金融機関というのは、例えばアメリカでも私の理解では十行ぐらいしかないというふうに思うのですが、日本はそれが非常に多い。そういうものについて、海外からの撤退を図り四%の世界になれば、そこで非常に余裕が出てくるわけですから、貸し渋りの問題もなくなるわけですね。そういう総合判断をすれば、私は、資本注入よりは海外撤退を進めるべきだ、こういうふうに思うのですが、いかがでしょうか。

松永国務大臣 委員の御指摘は、私は傾聴に値する御指摘だと思いますけれども、ただ、大蔵省の立場からすれば、資本注入を希望して、そして金融危機管理審査委員会の方に申し出てきた場合には、その審査委員会の場でいろいろ意見を述べることはできますけれども、そうでない状況の中で、大蔵省が個々の金融機関に、おまえさんのところはこうした方がいいのじゃないか、ああした方がいいのじゃないかということを指示するというか指導するというようなことは、これは行き過ぎじゃないかな、こう私は思うわけでありまして、基本的には、個々の民間金融機関のことでございますから、そこの株主さん、こういう人たちが議論をして、そしてみずからの判断でなさるべきことだというふうに私は考えます。

岡田委員 ただ、資本注入をするわけでありますから、一般的な議論として、そういう場合にはまず海外からの撤退を求める、そういう基準を述べておくことは私は何の問題もないと思うのですが、いかがでしょうか。

山口政府委員 お答え申し上げます。

現在、海外営業拠点を持っているところはみんな八%がある意味では義務づけられておりますが、海外営業拠点を持たない銀行の自己資本比率につきましては、これまでは八%と四%、いずれか選択制にしておりました。ところが、早期是正措置の導入に伴いまして、この選択制による申請を排除する観点から、一律にそうした海外拠点を持たないところは国内基準を適用するというふうに変えました。したがいまして、八%適用行は現在八十行ありますが、それが四十六行に減ります。逆に、国内基準適用行が六十七から百一に増加します。

したがいまして、先生がおっしゃるような趣旨がそういう意味でも反映されますが、さらにもう一つ先生の重要な御指摘は、海外展開を現にやっているところも少し撤退したらどうかという大変重要な指摘だと思いますし、私どももそういった呼びかけもいたしております。

ただ、地元企業が出ているので出なければいけないとかいういろいろな事情がある等を聞いておりますが、例えば地銀等の中におきましては、海外からの撤退の動きも現に出てきております。既に今度の三月期でも地銀の三行が全面撤退を表明しておりますし、また、今後、一行が全面撤退を表明しております。そういった先生の御指摘になったような動きは、今後はかなり広まるのではないかというふうに思っております。

岡田委員 私は、これが貸し渋りの最大の対策だ、四十六行も海外展開する金融機関は要らない、こういうふうに申し上げておきたいと思います。

最後に、総務庁長官と官房長官、申しわけございません、せっかくおいでいただきましたので、質問したいと思います。

新聞報道で、内閣官房の機能強化について総務庁長官がかなり前向きのことをおっしゃった、こういうふうに聞いております。私も一週間ほど前にこの場で質問させていただきましたが、内閣官房の機能の中で、総理大臣の発議権、第六条でありますとか、それから国政に関する基本方針の企画立案を内閣官房の任務として加えることとか、あるいは組織の中で、基本的に内閣総理大臣により直接選任された者によって運営されるべきだ、こういうことについては、省庁再編成基本法とは別に急いでやるべきだ、こういうふうに私は思いますが、お二人の見解を最後に一言ずつお聞きしたいと思います。

小里国務大臣 お話がございましたように、内閣機能の強化につきましては、今次の行政改革の中心課題であり、なおまた、今提案申し上げておりまする法案の中におきましても、国政の基本に関する内閣総理大臣の発議権、あるいはまた、いわゆる内閣官房の強化や、あるいは内閣府の設置によりまして内閣あるいは内閣総理大臣を補佐、支援していこう、そのことはきちんと、お話しのとおりでございます。

実は私も、ただいま議員の方からお話がございましたように、内閣府の強化こそまさに今次改革の中心だ、そういう意気込み、あるいはその趣旨はきちんと整理しておるつもりでございますが、御承知のとおり、今次の改革は、内閣及びその統括のもとにある新たな省を通じまして、総合性あるいは戦略性を持った政府を形づくっていこうというところに大きな一つの改革のねらいもあるわけでございまして、そういう実態から申し上げますと、内閣及び各省の改革が両者相まって進まなければならぬ、作業を進めなければならないなという側面もございました。

さらにまた、内閣府を新たに設置して、そして内閣及び内閣総理大臣の補佐、支援体制を強化するという大きな要素から見てまいりますと、新たにつくります内閣府については、従来の各省庁のいわば権限、役割をその内閣府の権限、役割として規定するものがたくさんあるものですから、例えば経企庁がそのとおりであり、あるいは科学技術庁がそのとおりであり、あるいはまた総務庁の一部もそういう形になっておりまして、実態として、ただいま議員から要旨として述べられましたこと、全く同感でございますけれども、なかなか思うように進められないなという側面も感じておるところでございます。

村岡国務大臣 総務長官がお答えしましたが、機能強化をすぐに行うべきでないかと。それで、今の中央省庁と切り離して、危機管理につきましては内閣危機管理監ということを今お願いいたしております。

ただ、いろいろ内閣府という問題がございまして、これらが各省庁の今までの権限との関係もありますので、設置法の時点でやっていかないとうまくいかないのではないか。ただ、委員のおっしゃることは十分私も意味もわかりますし、現状でそういうような強化あるいは指導性というものを発揮していきたい、こういうふうに思っているところであります。

岡田委員 私は内閣官房に絞って御質問申し上げたわけでございますが、御答弁がちょっと食い違っていたように思います。

終わります。




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