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2007.04.17|TALK-ABOUT [ブログ]

教育再生――重要なのは技術論ではなく「生きる力」


今日は衆議院本会議で、政府の教育関連3法案とそれに対する民主党の教育改革3法案の両案が提案されました。

本会議で代表質問を聞いていてまず思ったのは、自民党の馳浩議員が最初に質問をしたのですが、いまの安倍政権の教育論議に対するいろんな不満が自民党の中にもあるのだろうと思いますけれど、政府案に対してかなり厳しい辛口の質問を馳議員はしていました。

安倍総理はほとんどそれに対して正面から答えることはなかったわけですが、与党の議員の質問としては――普通は政府案をたたえるといいますか、基本的に批判はしないというのが普通ですが――今日の馳議員の質問はかなりポイントを突いた、ある意味ではかなり良い質問をされていたと思います。


それに対して、安倍総理がきちんと答えておられない、与党の質問にすらきちんと答えないということは、非常に残念な気がしました。

我が党からは野田佳彦さんが質問に立たれました。野田さんらしく、質問書をあらかじめ作らないで、その場で質問をされましたが、大変骨太な質問をされたと思います。

これに対しても、きちんとした答えがほとんどないということは、非常に残念でした。

これから特別委員会を設けて、この教育の議論が始まっていくわけですが、「戦後レジームの見直し」とか「教育再生が最大の内閣の課題」とか、いろんな言葉が踊っていますけれど、今回の政府3法案は極めて技術的な、本質的でない法案だと思います。しっかりとした基本的な骨太の議論があったうえでの法改正でなければならないと思っています。

例えば、教員の免許制ですが、政府案では10年に1回研修を受けるということが定まっているだけです。

しかし、そもそもなぜこういう議論が出てきたかというと、教員が十分その責任を果たしていない、能力不足である、ということがあります。同時に、教室が非常に荒れている、これは教員の能力を超えたような状況があるということでもあります。

そういう中で、教員の能力をさらに高めていくためには一体何をすべきなのかということがまず最も重要なことであるはずです。

それは採用のとき――これからは教員というものは修士課程を経なければいけないというのが1つの我が党の大きな主張ですけれども――の資質の見極めの問題、あるいは採用したあとの資質の向上のための対策、そして、10年に1回なら10年に1回の免許の更新時の対応、そういった様々なことが求められるわけで、免許のことだけ、しかもそれは研修を受けることでよしということでは、荒れている教室の対策としては全く不十分であると私には思えてなりません。

安倍総理は「駄目教師には辞めてもらう」と大変厳しい言い方をされていた時期もあります。私は、国家の指導者は「駄目教師は辞めさせる」というようなことを言うのではなくて、教師の資質を上げるために具体的にこういうことをすると、そして、どうしてもぎりぎり駄目なときには、もちろん、教師を退いてもらうこともあるかもしれませんし、そういうことが必要な場面もあると思いますが、基本的には質を上げるために、政府は何をする、私は何をする、そういったことの議論が求められているんだと思います。

教育委員会の扱いも、我が党は教育委員会を廃止して、教育に関しても市町村長に権限を集中させるべきだという意見を述べています。選挙を経てきた首長こそが責任者であるべきだと考えているわけです。

そして、その首長があまりにも偏ったことをしたときに備えて、それをチェックするような仕組みをビルトインすべきだというのが民主党の主張です。

公選である教育委員会なら別ですが、そうではなくなった段階で、いまのような、どこに最終的な責任があるのかはっきりしない、文部科学省なのか、教育委員会なのか、あるいは都道府県、市町村なのか。そういう無責任体制をきちんと整理をする、骨太の議論がまずなければならないと考えています。

そして、教育の問題で最も重要なのは、いままで政府も進めてきたように、「生きる力」を養うこと、「ゆとり教育」という名前でそれがなされたために、非常にネガティブな印象を持って受け止められている部分はありますが、しかし、私は知識を重視しすぎた詰め込み型の教育が、いろんな子どもたちに対してストレスを生み、荒れた教室の1つの大きな原因にもなっている。やはり教育というのは、知識を詰め込むことではなくて、自ら考え、決断する、あるいは「生きる力」、そういったことを重視した教育、それが非常に重要なことだと思っています。

そういったことを果たして安倍総理あるいは政府はどう考えているのか。否定するのか、否定しないのか。知識偏重に戻るのか、戻らないのか。そういうところについての根本的な議論が教育再生会議でもほとんどなされていないのは、非常に残念なことだと思います。

その基本が定まらないまま、いろんな技術的な、改革という名の改悪をしていけば、教育はますます混乱するばかりではないでしょうか。そういうことを強く懸念する1人です。



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