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活動レポート 岡田かつやの活動の記録

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第3章 先送りされ続けた社会保障制度改革

2)抜本改革なき年金制度改革

年金制度の構造改革は、本格的な人口減少時代を迎え、日本の人口構成が大きく変化するなかで、政府が最優先課題として取り組まなければならない問題である。

いままでの賦課方式、すなわち、働く世代の保険料でそのときの高齢者の年金を賄い、次の時代にはそのときの働く世代がまた高齢者を支えるという、日本の年金制度の根幹である世代間の助け合いという考え方は成り立たなくなった。かつての4人以上の働く世代で1人の高齢者を支えた時代から、やがて2人以下で1人を支える時代となることを見ても、大きな制度改革が必要であることは明らかである。

あわせて、基本的に同じ職種・同じ働き場所で生涯働くという終身雇用の考え方も変化している。短時間労働や非正規社員など働き方の多様化も進んでいる。職場や働き方を何度も変えることが当たり前の時代に即した年金制度にしなければならない。

年金制度は、いままで5年ごとに見直すことになっていた。出生率などを楽観的に見積もることによって、制度改正直後から見通しと現実との乖離が生じて、見直すごとに保険料の負担増と年金給付の引き下げが繰り返されてきた。そして、このことを通じて国民の年金制度に対する信頼は失われ、将来十分な年金を手にすることが出来ないのではないかという諦めの気持ちが若い世代に拡大してきた。

年金制度の議論の今一つの特徴は、年金を取り巻く様々な問題とリンクして議論がなされることが多いことである。グリーンピアや社会保険庁不祥事に代表される年金基金の無駄遣い、国会議員の年金保険料未払い、国会議員年金の廃止問題など、年金制度の改革と絡めて様々な問題が指摘されてきた。

それだけ国民にとって年金制度は大切であり、関心も高いということだと思う。大切な所得のかなりの部分を保険料として支払い、また、老後の安定した生活のための頼みの綱であることを考えれば当然のことである。

私も初当選以来、5年ごとの年金改革に厚生委員会や予算委員会などで深く関わってきた。個人的にも関心が深かったし、小泉総理と最も数多く議論したテーマでもあった。私が民主党代表となった直後の参議院選挙では年金の問題が最大の争点となり、民主党は得票率のみならず、議席数でも自民党を上回った。

この間、民主党は一貫して年金制度の抜本改革案を提示しながら、与野党間の協議についても応じる姿勢を見せてきた。しかし、残念ながら抜本改革は与党によって先送りされ続け、今日に至っている。

抜本改革か数字合わせか

私が小泉総理と年金の問題を本格的に議論したのは、平成15年11月25日の予算委員会が初めてである。その直前の11月9日に行われた総選挙において、民主党は40議席を増やす勝利を収めていた。その勝因の1つが、民主党の年金改革案だったのである。

民主党が平成15年の総選挙で示した案は、①いまある厚生年金、共済年金、国民年金を一元化し、所得に比例した保険料を財源とする「所得比例年金」を設ける、②これに加えて、全額を税でまかなう「国民基礎年金」を設け、すべての人に老後の最低限の年金を保障する、③国民基礎年金の財源は、歳出削減によって国庫負担3分の1から2分の1まで引き上げたうえで、残りの2分の1は年金控除の見直しや消費税の一部の年金目的税化で確保する――というものだった。いわゆる「スウェーデン方式」を参考とした、この民主党案はメディアを含めて関係者から高い評価を受けていた。それに対し、自民党は明確な改革案を示せないまま総選挙を戦い、敗北していた。

この日の質疑の中で私はまず、翌年の通常国会に年金改革法案の提出が予定されているにもかかわらず、その数カ月前に実施された総選挙において具体案が何ら示されなかったことを批判した。

小泉総理は「今後、この1カ月、わずか1カ月の間ではありますけれども、具体案が出てまいりますから、そういうときにまた来年の国会でより深く議論できるんだと思いまして、決して逃げているわけではありません」と答弁。国民に政策を明示して行われるべき総選挙で具体案を出さなかったと指摘しているのに対して、来年の国会で法案を議論できるから逃げているのはないと答弁をしている。いつもながらのすり替え答弁である。

平成15年の総選挙は「マニフェスト選挙」と言われた。各政党が政策を具体的に示したマニフェストを示して、国民に政党の掲げる政策に基づいて投票してもらおうという試みである。民間有識者からなる「新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)」が主導した、小選挙区制・2大政党時代にふさわしい選挙のやり方である。いままでのような、各候補者独自の政策や地元利益の誘導に基づく選挙ではなく、政党のマニフェストに基づく初めての本格的な国政選挙だった。

民主党のマニフェストは、本当によく有権者が手に取ってくれた。総選挙の公示前に150万部、公示後の本番用に150万部、計300万部用意したが、急遽さらに20万部を増刷した。また、要約版を公示前に800万部、公示後の本番用に1000万部印刷した。私は、この総選挙を幹事長として取り仕切ったが、日本の政治も小選挙区制度になって3回目の選挙にして、ようやく政党本位・政策本位になったと感慨深いものがあった。この私のマニフェスト選挙への思い入れが、代表として迎える次の総選挙において完全に裏目に出ることになるとは、この時点ではもちろん知る由もない。

私は、政府において年金改革の具体案作りが遅れたことによって、給付と負担の数字合わせの小さな改革にとどまり、年金の構造改革に手が着かないことになるのではないかと指摘。平成15年11月に発表された年金制度改革の厚生労働省案「持続可能な安心できる年金制度の構築に向けて」の中でも、長期的な制度体系の望ましいあり方について議論を継続していくことが明記されていた。民主党の主張している年金制度の一元化や所得比例年金、基礎年金全額税方式の導入などの構造改革について、先送りせずきちんと検討すべきであるとの考えである。

私は、当面の給付と負担の話と制度的な改革の話とを分けて考えるべきではないと主張した。例えば、想定されている将来の年金保険料の負担の上限は事業主負担を含めて20%で、これをどこまで下げるかが当面の大きな課題となっている。基礎年金部分について税方式を導入すれば保険料負担は減り、保険料の水準を下げることが出来る。4割の人が何らかの形で保険料を払っていない国民年金の対策も税方式によって解決する。したがって、次期通常国会における年金改革は制度改革論を含めて行うべきであると強調した。

年金制度の構造改革・抜本改革は、これまで先送りされ続けてきた。そして、給付を減らし負担を増やすという数字合わせで、小手先の対応を行ってきた。そのことが年金制度に対する不信感を強めている。そもそも、人口減少時代にあって賦課方式など成り立たない。制度そのものを変えなければならないというのが、私のこの日の問題意識であった。

この日の質疑で小泉総理の答弁に見るべきものはなかった。しかし、大きな収穫があった。それは坂口厚生労働大臣の答弁である。

坂口大臣は「決して先送りするつもりはございません。ただ、私は2段階に考えております」「制度体系そのものについてもこれは議論を深めて、そしてやっていかなきゃいけないというふうに思っております」と答弁。その上で、「今からまた4年も5年も先に送ってはいけませんので、1年なら1年という期限を切って、その中で御議論いただいて、そして結論を出していただくということが一番私は大事ではないかというふうに思っております」と発言した。

制度改革は先送りせず、期限を切って議論し、結論を出すべきだとはっきりと明言したのである。与野党の立場を超えて年金制度を議論すべきではないかという私の問題意識と共通するものを坂口大臣の答弁に感じていた。

総選挙に先立って、民主党の年金改革案を党内で議論するにあたり、制度改革の内容についてスウェーデン方式を大いに参考にした。しかしそれだけでなく、改革の手法もスウェーデンのやり方は魅力的だった。スウェーデンでは、与野党の立場を超えた超党派で3年間の議論を経て改革案を取りまとめ、さらに5年の歳月をかけて新制度の施行にこぎ着けた。同様のことが日本でも出来ないかとの思いがあったのである。

年金のような大きな問題は、政治的争点としてあくまで対立点を明確にしていくか、それとも与野党を超えて議論するか、民主党内にもこの時点において両論があった。しかし、年金改革の担当者たちの中には、スウェーデンと同様に、与野党の違いを超えて改革案を作るべきとの思いが強かったのである。私もその思いを共有していた。

代表交代と3党合意

年金改革の問題は平成16年通常国会の最大のテーマとなった。衆議院厚生労働委員会では与野党が激しく対立した。政府案が将来の出生率などを楽観的に見過ぎていること、将来の年金額として現役世代の平均収入の5割を確保すると説明しながら、現実には限られたモデル世帯にしか該当しないことなど、様々な問題が指摘された。厚生労働委員会は何度も審議がストップするほど大混乱した。

そういう中で、国会議員の年金保険料未納問題が大きな焦点となった。国会議員でありながら、義務である国民年金の保険料を納めていないのは問題であると、メディアも大きく取り上げた。閣僚の中にも未納者が3人いることが判明し、4月の衆議院広島5区補選において、菅直人代表が「未納3兄弟」という絶妙のネーミングで批判した。当時、『団子三兄弟』という歌がヒットしていたことを受けた、菅さんらしい攻撃方法だった。

ところが、菅さん自身が厚生大臣就任中に未納があったのではないかとの疑惑が発生し、菅代表にとっても民主党にとっても大変なことになった。民主党は未納批判に先立って民主党所属の全国会議員について未納があるか否かを調査し、未納者名を発表していた。自ら情報公開することが、国民の信頼につながるとの幹事長である私の判断だった。もちろん、党の重要な役職者については事前にそれぞれ調べてもらい、問題なしとの報告を受けていた。それにもかかわらず、よりによって菅代表が、しかも厚生大臣のときに未納があることが判明したということだから、ショックは大きかった。実は、あとで未納とは言えないということが判明するのだが、このときは大騒ぎになった。

私や枝野政調会長は、この問題は軽く見ないほうがよい、未納については率直に誤ったほうがよいと考え、菅代表にアドバイスした。しかし、ピンチになればなるほど戦う姿勢が強まるのが菅さんのスタイルである。説明のための記者会見は、菅代表の強硬姿勢のみが目立ったものとなってしまった。記者会見を終えると、5月の連休に入ったため、菅代表は予定どおり欧米への海外出張に旅立った。私は記者会見を見ていて、菅代表はもたないかもしれないと思った。枝野政調会長、野田国対委員長、いずれも同意見だった。

与党とメディアは、菅代表は無責任であるとの批判を繰り返した。どう見ても形勢は不利で、早急に菅さんが帰国して再度説明するしか事態打開の道はないように思われた。すぐ帰国すべきと何度か国際電話で話をしたが、日本を離れているためにその切迫感がうまく伝わらなかった。党内も菅代表は辞任せざるを得ないという雰囲気になってきた。

そういう中で、厚生労働委員会の採決が迫り、連休明けに与野党国対間で話し合いがなされた。もちろん、法案そのものには反対することは決まっていた。しかし、法案の附則に「政府は、社会保障制度に関する国会の審議を踏まえ、社会保障制度全般について、税、保険料等の負担と給付の在り方を含め、一体的な見直しを行いつつ、これとの整合を図り、公的年金制度について必要な見直しを行うものとする」(1項)、「前項の公的年金制度についての見直しを行うに当たっては、公的年金制度の一元化を展望し、体系の在り方について検討を行うものとする」(2項)という1条を付け加えることの是非をめぐって、党内で議論が分かれた。

私は、いま目の前にある法案には当然反対だが、今後の年金制度の大きな改革のためには、各党が話し合いの場を設けるべきであると考え、その根拠となる1条を附則に加える修正には賛成してよいと考えた。スウェーデンで年金改革のために、8割の議席を占める5つの政党が与野党を超えて議論し、抜本的な改革を行ったことが念頭にあった。他方で、2カ月後に予定されていた参議院選挙を考え、対立の構図を明確にしておくべきで、いかなる修正にも反対すべきだとの党内の異論も当然のことながら強かった。

しかし、法案反対の姿勢を貫きながら、大きな改革のための話し合いをスタートさせることは十分有権者に理解されるし、民主党の年金改革にかける真面目な姿勢が伝わると判断した。最終的には、衆参の厚生労働委員会に小委員会を設置し、年金の一元化を含む社会保障制度全般の一体的見直しを行い、平成19年3月を目途に結論を得ること、これに合わせて、与野党協議会を設置することなどを柱とした、いわゆる「3党合意」が自民、公明、民主3党幹事長の間で確認された。

あとで大問題となるこの3党合意は、菅代表や党役員会の了承を得たうえで、私の名前と責任でサインしたものである。党内に菅代表が自らの未納問題を覆い隠すために積極的だったという見方があったが、全くの誤りである。実は3党合意をサインしたのは、菅さんが日本に戻った日の夕方だった。与党との交渉に菅代表はほとんど関与していなかったが、私を信頼して任せてくれた。

5月11日、政府提出の年金改革法案は衆議院を通過した。民主党はもちろん政府案に反対した。ただし、附則に付け加えた1条のみ賛成という態度だった。

政府案が衆議院を通過する前日、菅代表が自らの年金保険料未納の責任を取って辞任を表明した。この日の両院議員総会はいまだに忘れられない。民主党の未熟さを痛感させるものだった。

菅さんが辞任する旨発言し、それが了承された直後にもかかわらず、個人攻撃が続いた。菅さんが「そんなことを言っている限り、この党はいつまで経っても政権は取れない」と反論すると、会場から「お前になんか言われたくないよ」とのヤジが飛んだ。これがいままで代表としてあらゆることを犠牲にして頑張ってきた人、そして代表を辞任して去り行く人に対する発言だろうか。

私は我が耳を疑った。そして、「幹事長としての最後の発言だが」と前置きして、ヤジ発言をたしなめた。私自身、怒りで一杯だった。心ある多くの議員も同じ思いだったと思う。

思えば、この1年半前に鳩山代表の辞任を受けて代表選挙を菅さんと私で戦い、その直後に菅代表・岡田幹事長のコンビを組んだ。短い期間だったが、党内をまとめて民由合併を実現し、総選挙でも大きく議席を伸ばすことが出来た。それまでは、民主党幹事長の役割ははっきりしなかった。菅さんと私は事前に役割分担を明確にすることを話し合った。菅代表には次期総理候補として外に向けてどんどんアピールしてもらい、私は徹底的にそれをサポートする。そして、私は党内実務や党改革を任されるという役割分担を明確にした。代表と幹事長がバラバラだという批判は一切なく、いいコンビを組むことが出来たと思う。お互いしっかりした信頼関係に結ばれたゴールデンコンビだったと言うと言いすぎだろうか。

この年金問題をきっかけとした菅代表の辞任を受けて、私の幹事長としての最後の仕事が次の代表選任だった。党の常任幹事会で、私に後任代表の選任を一任するとの決定がなされた。小沢一郎さんを次の代表にというのが党内の大勢だったし、私もそう思っていた。参議院選挙は目前で、何とか新しい体制をスタートさせる必要があった。政治改革実現を目指して、ともに自民党を離党してから10年以上の歳月が過ぎていた。小沢さんと私のいままでの共通の思い出を語り、いまが貫いてきた信念を実現するチャンスだと必死で説得した。そして、とうとう小沢さんが了解してくれた。その直後の記者会見で、小沢さん本人が代表就任の方向性を明らかにした。

私は自身の責任を果たした思いで、週末、地元へ戻った。そもそも、菅代表の任期が切れる9月には幹事長を辞めるつもりでいた。政調会長、幹事長代理、幹事長と長く続いた激務の中で、少し休みたいとの思いが強かった。地元に戻れる日も少なく、地元の人々との接点も少なくなっていた。家族と会うことすら十分に出来ない状況が続いていた。地元で久し振りに家族と外食し、いままでの父親不在を詫び、小沢新代表が正式に決まれば暇が出来ると説明した。夜は子どもたちと花火で遊んだ。これから平穏な日々が始まるはずだった。

翌日の月曜日、東京に上京し、東京駅から国会に向かう途中で小沢さんに呼ばれた。自らも年金未納の問題があり、代表を受けられないと言うのである。予想外のことで驚いた。国会議員が国民年金に任意で加入できるとされた時代のことであり、未納があったとしても何の問題もないと説得したが、本人の意思は固く、議論は振り出しに戻った。私は小沢さんが難しいのであれば、旧自由党幹事長として小沢さんを支えてきた藤井裕久さんが望ましいと告げたが、本人が強く辞退されたという。

翌日が民主党の政治資金パーティーで、ここが参議院選挙に向けての実質スタートの日となるはずだった。代表不在のままパーティーは出来ない。そして、これ以上の空白は絶対に許されない。目前の参議院選挙にとって、いや民主党の将来にとって、まさに危機的状況だった。

私は自分自身が代表になることは絶対にないと明言していたが、どう考えても他に選択肢はなかった。後継代表擁立失敗の責任を取って、私は代表就任を決意した。当時は参議院選挙も民主党にとって厳しい結果が予想されており、まさに火中の栗を拾う思いだった。「そこまで責任を感じなくてもいいのに」、「この不利な時期に代表を受けるのは真面目すぎる」との声も聞こえてきた。参議院選挙までは責任を果たそうとの思いだった。

人生いろいろ発言飛び出す

代表として小泉総理との初対決は、まさしく参議院選挙目前の平成16年6月の決算行政監視委員会だった。私はまず、年金改革について、将来の給付の削減や負担の増大は方向性として避けられないことである、そのこと自体を問題とするような揚げ足取りの議論はしない、と明言。その上で政府の説明の不誠実さを指摘した。

すなわち、現役世代の平均収入の50%を上回る給付水準を確保するとしながら、これは奥さんが専業主婦で、かつ65歳時点の数字である。その他のケース、例えば共働きの場合は50%を確実に下回り、また、モデルケースであっても、その後例えば75歳になると45%と、給付率は確実に下がっていく。「非常に誤解を生むような説明をしていたことに対して、一体、総理、どう考えているんでしょうか」と、小泉総理を責め立てた。

私の追及に対して小泉総理は、「私は、1つの案であってこれが全部にあてはまらないじゃないかというその議論は認めます。しかし全部あてはめていったら、どれだけ説明して、ややこしい説明をしなきゃならないか」「民主党も、審議拒否されないで、早くから審議していれば、こういう点も十分審議できたわけであります」と強弁した。参議院選挙を前にして双方の熱が上がっている。

突然、小泉総理は3党合意を持ち出した。

「だからこそ、私は3党合意したんじゃないですか。岡田さんが幹事長の時代に、年金一元化が望ましいと。だから年金一元化を含む社会保障全体を協議していく場をつくろうと」

年金で答弁に窮すると、3党合意を持ち出すという、その後何度も繰り返されるパターンの初登場の瞬間だった。

私は、民主党にはすでに具体案があるが、自民党はまとまっていない。一元化についても、国民年金を含む一元化なのかどうかについてすら、自民党内はまとまっていない。まず自民党内をまとめたうえで、議論をスタートすべきと反論した。

総理は「与野党の協議の場ができる前に各党案をまとめて出してこいと言ったら、ますますまとまるものもまとまらなくなっちゃいますよ」と苦しい答弁。自民党内には、国民年金を含む一元化や基礎年金の全額税方式導入について賛否両論があった。結局、これを説得してまとめることが出来なかったのである。

それにしても、小泉総理の真意は、この時点で本当のところどうだったのだろうか。参議院選挙の最大の争点となりつつあった年金問題をなるべく争点化しないために、いわばカムフラージュとして3党協議をスタートさせたかったのか、それとも、民主党を議論の場に引き込むことで、自民党内の反対派を抑え、本気で年金の構造改革を実現したかったのか。

最後に私は、総理自身の厚生年金の問題を取り上げた。党首討論で代表が取り上げるべきテーマかどうか、私自身、若干疑問がなかったわけではない。しかし、この時点で代表交代の混乱の余波が残り、民主党の支持率は低かった。参議院選挙で良い結果を出すための材料はまだ見つかっていなかった。鉢呂吉雄幹事長代理の勧めもあり、残された数分間をこの問題に充てることにした。

総理の厚生年金の問題とは、ある会社に籍を置き、勤務実態がないにもかかわらず給料をもらい、厚生年金にも加入していた問題である。普通の人ならともかく、日本国総理大臣が、浪人時代とはいえ、実態もなく厚生年金に加入していたのはまずい。ただ、私は過去の問題で総理を批判するつもりはなかった。「ちゃんと謝られたほうがいいと思いますよ」と指摘したのである。にもかかわらず、小泉総理はキレた。

「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろです」「私が落選中に極めて太っ腹の人情味のある社長さんにめぐり会って」「こういうことについて、何らやましいこともないし、何で謝らなきゃなんないのか」

私は興奮して話し続ける小泉総理を見ていて、次第に怒りが込み上げてきた。

「私は、この方が日本国総理大臣なのかと非常に寂しい気持ちで聞いておりました」「もし小泉総理がそういうふうに開き直れば、自営業だが有利な厚生年金に入りたい人に対してノーと言えるのか」「国の制度の根幹が揺らぎますよ。それが総理大臣の言うことですか」と叫んで質問を打ち切り、質問席から自席に戻った。

小泉総理が慌てて何か発言しようとしたが、時間はすでに超過していた。民主党所属の細川律夫委員長が小泉総理の発言を許さず、「これにて散会します」と宣言して、劇的幕切れとなった。

私が許せなかったのは、会社勤めの実態がないにもかかわらず、給料と年金保険料を負担してもらっていた、そのことを「人生いろいろ、会社もいろいろ」と言って開き直る小泉総理の態度に対してである。

政治資金に対していまよりはるかにルーズな時代だった。小泉総理の頭の中に「なぜ自分だけが」という気持ちがあったのだと思う。しかし、総理大臣である以上、事実を認め謝罪すべきだった。私も小泉総理の35年前のことを批判するつもりはなかったし、だからこそ「ちゃんと謝られたほうがいいと思いますよ」と述べるにとどめた。しかし、小泉総理は「人生いろいろ」と開き直った。

正社員になって厚生年金に加入したいがそれが出来ない派遣社員や臨時雇いなどの立場にある人々や、少ない給料からやり繰りして保険料を払っている人々は、どういう思いで小泉総理の発言を聞いただろうか。小泉さんの日本国総理大臣としての自覚のなさ、そして、代々政治家の家系にある人の特権意識を感じたのは、私だけではなかったと思う。

強行採決、そして参議院選挙勝利

参議院厚生労働委員会における強行採決を経て、政府の年金改革法は成立した。

審議を通じて、小泉総理が政府案の根幹であるマクロ経済スライド、すなわち、賃金や物価の上昇に伴う年金給付の増加に対し、働く世代の減少や平均寿命の伸びを反映させて年金給付の伸びを抑えるという仕組みを全く理解していないことも明らかになった。民主党の山本孝史議員の鋭い質疑の成果である。

そういう中で、年金問題に熱心に取り組んできた、今期限りで引退予定の西川きよし議員の質問の前に、与党は質疑打ち切り動議を出して強行採決したのである。国民の8割が政府案を成立させるべきではないとしているなかでの暴挙だった。

こうして通常国会は終了し、参議院議員選挙がスタートした。参議院選挙の最大の争点は年金になった。民主党が年金を重要な争点に選挙を戦おうとしたことは当然だが、むしろ国民がこれからの年金制度に大きな関心と不安を持ち、かつ国会における政府・与党の態度に怒りを覚えていた。テレビで何度も繰り返された総理の「人生いろいろ」発言や参議院における強行採決の場面も国民の怒りを増幅させた。

小泉総理・安倍事長のコンビに対して、民主党は岡田代表・藤井幹事長コンビで対抗した。経験の深い、かつ政策を知り尽くした藤井さんには本当にいい仕事をしていただいた。代表として経験のない私を仙谷政調会長、川端達夫国対委員長、玄葉光一郎選対委員長らが全員野球で支えてくれた。真面目すぎると言われた私のイメージを逆手に取って、「まっすぐに、ひたむきに。」というキャッチフレーズを提案してくれたのは、枝野総合選対本部事務局長が中心となった若手メンバーたちだった。

私は1人区を中心に全国を遊説した。3日に1度は東京に戻ることにしていたが、途中で予定変更して宮崎の無所属候補・松下新平さんを応援に行ったときは下着の予備がなくなり、ホテルの風呂場で下着を洗ってやり繰りした。困難な参議院選挙が次第に民主党有利という展開になっていった。

参議院選挙投票日2日前の7月9日、北朝鮮拉致被害者の曽我ひとみさんが夫のジェンキンス氏、そして2人の娘さんとインドネシア・ジャカルタで再会を果たした。その模様はテレビで大きく放映され、北朝鮮問題に対する国民の関心は高まった。争点が年金から北朝鮮拉致問題に移るのではないかと懸念された。あまりにも絶妙のタイミングでの出来事だった。北朝鮮側とどのような取り引きをしたのだろうか。

しかし、このことによって年金問題に対する国民の関心が失われることはなかった。確かに、投票日1週間前まで感じた大きな手応えは、最終場面でやや勢いが衰えた感は否めない。最後の一押しが出来なかった最大の原因は、選挙区における民主党の日常活動が十分でなかったことだと思う。

この選挙で私は、「必ず自民党を上回る議席を獲得する」と言い続けた。私の周りで、当初そのことをまともに受け止める人はいなかった。しかし、焦点とされた1人区を重点的に応援に回るなかで、私は勝利を確信し始めていた。

結局、民主党は比例区の得票数で自民党を430万票上回り、議席数でも焦点とされた1人区で13勝14敗、民主党推薦などの無所属候補を入れると改選議席全体で55議席を獲得し、自民党に6議席勝ち越すことが出来た。民主党が自民党に名実ともに初めて勝利した選挙だった。

ただ、自民党に勝ったことで、私は代表を辞めることが出来なくなった。次の総選挙で政権交代を目指すことが、有権者に対する私の責任であり、逃げることは許されないと覚悟を決めた。投票日の勝利の記者会見の最後に、私は記者の質問に答える形で「9月の代表選挙に出馬する」と明言した。次は政権交代だ。それまでに多くのことをやり遂げ、困難な目標を達成しなければならない。参議院選挙勝利にもかかわらず、私に笑顔はなかった。

この選挙で私は、将来の年金制度の安定のために、民主党案の最低保障年金制度は税方式とすべきであり、そのために改革実現時には消費税を3ポイント引き上げ、その部分を年金目的消費税とすることを正面から訴えた。選挙戦を通じて強気で言い続けた。良いことも悪いことも含めて、国民に対して正直に公約を訴える、そんな成熟した民主主義の下での選挙の第一歩を実現したいとの思いだった。最初は聴衆、とりわけ女性の反応が気になった。一般消費税導入を打ち出して総選挙に大敗し、その後亡くなった故・大平正芳総理の演説する姿が思い出されてならなかった。成熟した有権者を信じよう、政策本位の選挙を定着させようと自分自身に言い聞かせながら、演説していた。

改革の具体案を提案

参議院選挙直後の平成16年8月の衆議院本会議において、私は民主党代表として初めての代表質問を行った。主なテーマはもちろん年金だった。このときに私は、「成立した政府の年金改革法に対し、国民は否定した。これを一旦廃止して、年金問題の議論をやり直せ」と強調した。その上で、私は重要な発言を行った。

「年金制度の一元化を含めた社会保障制度について政党間で協議するとともに、国会に小委員会を設けて議論することは必要なことだ」

3党合意に沿って年金制度の抜本改革を議論すべきだ、参議院選挙が行われたことで3党合意が無効になったわけではないと宣言したのである。ただし、その前提として、民主党案のような具体案を与党も出すべきだと主張した。小泉総理はこれに対し、3党合意に基づく与野党協議に「なぜ民主党が応じないのか、理解に苦しむところでございます」と従来の答弁を繰り返した。

平成16年10月、臨時国会が召集された。私は9月に無投票で代表に再任されていた。私は本会議代表質問に立ち、年金制度の抜本改革について一歩踏み込んだ提案を行った。国民が参議院選挙において民主党に期待していただいた、その最大の理由が年金改革であり、何とかして年金制度の改革論議をスタートさせたいとの思いからだった。

私が提案したのは、「第1に、基礎年金相当部分について全額税方式により一元化し、その財源に年金目的消費税を活用すること。第2に、いわゆる2階建て部分について、一元化を前提に、国民年金対象者を含めた負担と給付のあり方について検討すること。第3に、納税者番号制の導入を行うこと。この3点を小泉総理が約束するのであれば、与野党間の協議は意味あるものとなります」ということだった。

小泉総理はいつもどおりの素っ気ないものだった。しかし、この私の発言は従来の民主党案から見るとかなりの踏み込みだった。まず、「最低保障年金」という表現を使わずに、「基礎年金相当部分」という言い方にした。新たな制度をつくるというよりは、基礎年金の全額税方式による一元化という、より与党に呑みやすい表現にしたのである。

次いで、年金制度の一元化の場合の問題点として、国民年金加入者の保険料負担が過重になるとの批判があることに配慮して、いわゆる2階建て部分の給付水準について、今後の検討課題とすることで柔軟対応の用意があることを示したのである。この時期、連合との間でも年金制度について話し合っていたが、私の考えは、年金一元化で最後に残る難しい問題は2階建て部分、すなわち厚生年金・共済年金にはある報酬比例部分について、それに対応するものがない国民年金をどうするのかという点だと予想していた。

この点の着地点としては、2階建て部分を廃止・民営化するとの意見も経済同友会や労働組合の電機連合などから提案されていた。私は基礎年金だけではセーフティーネットとして不十分と考えていたので賛成できないものの、1つの重要な提案ではある。この他にも様々なアイデアが考えられていた。これらを率直に政党間で議論すればよいと思っていた。

参議院選挙で国民は民主党に期待し、勝たせてくれた。年金改革を何とか実現して、老後の不安を取り除いてもらいたいというのが、国民の願いであると受け止めていた。何とかして人口減少時代に対応した持続可能な年金制度を構築したいとの思いが私には強かったのである。

小泉総理、納税者番号制に慎重

これらの思いを持って、平成16年11月の党首討論に臨んだ。この日は私はまず、少子高齢化の中で給付が削減され負担が増えることは、ある程度やむを得ないと多くの国民は理解していると述べた。率直な言い方に、傍聴していた自民党の若手議員が驚いた顔で私のほうを見た。

私はその上で、問題は制度が持続可能かどうかということであると主張し、本会議において取り上げた3つの項目のうち、国民年金を含む一元化の問題を具体的に取り上げた。自営業の人が会社勤めになったり、その逆になったりもある。事業主が重い企業負担を嫌う結果、厚生年金から国民年金に追いやられている人たちもいる。これらの問題への対応をしっかり行うべきであるが、どう考えているのかと質問した。

小泉総理はまず、「岡田代表が言われるように、今までのように給付は厚く、負担は軽くというふうにはいかないと、その点については私は同感であります。少子高齢化の時代にどういう年金がふさわしいか、高齢者と若い世代が支え合うという場合には相応の負担を分かち合っていこうと。そして、持続可能な制度にしていこうという点については同感であります」と言った。いい滑り出しだ、噛み合った議論が出来そうだと期待した。しかし、甘かった。

小泉総理は突然、納税者番号制の問題に焦点を移した。

「最も大きな問題は、自営業者の場合です。自営業者の場合の納税者番号は本当に可能なのかどうか」「自営業者まで含めて納税者番号を導入するか、これだって大議論が展開されるんです」

所得の正確な捕捉を最初から諦めたような総理の議論にはどうしても納得できない。現在でも、所得税や健康保険・介護保険の保険料は、所得に応じて決定されることになっている。もし正確な所得の捕捉を諦めたら、これらの制度の根幹が崩れてしまう。

私は「ごまかした人が得するんじゃなくて、お互いが支え合っていくきちんとした国をつくっていこうという、それが政治家の取り組むべき態度じゃないですか」と主張。かなり私の思いを率直に述べた発言だった。その上で、納税者番号制を導入するということさえ、はっきりと与党が認めるのであれば、制度の中身は与野党で検討すればよい、導入するかどうかをまずはっきりしてもらいたいと詰めた。

総理はどうしても納税者番号制導入について確定的なことを言いたくないらしい。私の質問には答えず、納税者番号制の問題も含めて、与野党で率直に協議しようと発言し、3党合意の話に話題を移そうとした。

もちろん、納税者番号制を導入したとしても、完全に自営業者の所得が捕捉できるわけではなく、一定の限界はある。特に、消費者を相手にする小売・サービス業の自営業者の場合の所得捕捉には大きなが困難がある。しかし、いまの事態が金融取引を中心にかなり改善することは間違いない。自民党内の反発があることは分かるが、税金をうまくごまかした人が得する社会が果たして良い社会だろうか。小泉総理がなぜ一貫して納税者番号制の問題に逃げ腰だったのか、その理由はいまだによく分からない。自営業者という自民党の支持層に配慮したとすれば、既得権を守るいままでの自民党と何ら変わらないことになる。

突然、小泉総理が3党合意の文書全体をゆっくりと読み上げ始めた。その上で、岡田さん、この3党合意をお忘れですか、早く議論をスタートさせましょう、と発言した。わざわざ文書で読み上げたのは、限られた時間の中で、明らかに私の質問の時間つぶしを狙ったものだった。文書や議事録を読み上げることで時間稼ぎをするという手法は、これ以降も党首討論で何度も繰り返されることになる。小泉総理は、私との党首討論が嫌で嫌で仕方なかったのだったのだろうか。

私は時間切れの中でやり返した。

「3党合意したあと、参議院の厚生労働委員会で強行採決したことで、一旦信頼関係は切れている」「それにもかかわらず私は3党合意を破棄するとは一度も言ってない」「総理こそ、強行採決をお忘れなく」

小泉総理はギクリとした顔になった。しかし、残念ながら議論は噛み合わなかった。総理が与野党協議を本当にやりたいのかどうかも分からなかった。

なぜ政党協議だったのか

この時期、私が目指そうとしたのは、年金制度について実効性ある政党協議の場をつくるということだった。現在の年金制度が人口減少と経済のグローバル化という新たな時代の潮流に対応できていないことは、専門家ならずとも多くの人々が感じていた。前年の強行採決された政府案のように、年金給付額を減らし保険料を上げるという小手先の改革では、また近い将来行き詰まることは明らかだった。企業側も保険料負担の重さに耐えかね、正社員からパートや派遣社員への切り替え、すなわち厚生年金から国民年金へのシフトが進み、その国民年金は加入者の多くが未納で、制度として限界に来ている。

年金制度は国民にとって老後の生活保障であり、多くの人々が強い関心を持っていることは言うまでもない。誰もが負担増、すなわち保険料の上乗せや年金のための増税は嫌に決まっている。しかし、すべての人がやがて年金受給者となる。持続可能な仕組みをつくり、きちんと説明すれば、国民の多くは最終的には納得してくれるはずだと思っていた。

そして、年金制度の根幹を変えるためには、仮に制度改革の具体案について最終的な合意に至らないとしても、少なくとも政党間に方向性についての共通認識があることが望ましい。そのことが近い将来、政権交代がなされた場合にも、民主党政権の下で年金改革を実現する道筋を付けることになると考えていた。

もちろん、与野党で協議することで、年金問題や社会保障改革という大きな政治テーマが選挙の際に論点でなくなる可能性がある。これは野党にとって不利である。また、年金改革のための消費税増税まで野党に共同責任を負わせたいとの与党の狙いも当然ある。しかし、本当に改革論議が前に進むチャンスがあるのであれば、与野党協議に積極的に取り組むべきだというのが、私の信念だった。だからこそ、党内に根強くあった、参議院選挙で年金をテーマに戦って勝った以上は3党合意を破棄すべきとの意見を採用しなかった。私は参議院選挙の際にも、与野党で議論することは大切だと言い続けた。何とか年金改革を実現することが民主党を勝たせてくれた国民に対する責任だと強く感じていたのである。

与党の中にも、抜本的な年金改革はじめ社会保障制度の改革が重要と考える真面目な政治家も当然ながら存在した。この時期、仙谷政調会長を窓口にして自民党とも政党協議の立ち上げについて非公式に話をしていた。私がこだわったのは、社会保障制度改革の中で年金問題についてまず議論するということ、そして、いつまでも結論を引き延ばすのではなく、期限を切って議論するということだった。小泉総理も3党合意を踏まえ、新たな議論の場を設けることに前向きであるとの感触が伝わってきていた。もちろん、それが正しい情報であるのか否かは明らかではなかった。

画期的な両院合同会議が設置される

平成17年1月、通常国会がスタートした。私はこの年、政治が最も取り組まなければならないのは、年金制度改革について方向性を出すことだと思っていた。郵政民営化も重要なテーマではあるが、国民の関心も極めて低く、また、果たして与党内で法案がまとまるのかな、という認識だった。1月24日の本会議代表質問で、年金問題について改めて質問した。

私が質問したポイントは、年金制度の抜本改革が重要との認識があるのかという点と、そのための集中的な議論を今国会で行うつもりがあるかという2点だった。あえて国会を議論の場にすべきと強調したのは、政党間協議を行うとしても、基本的な議論は国民に見える国会という場がよいとの判断だった。私の質問要旨は、当然のことながら、あらかじめ小泉総理の元に届いていた。

小泉総理からは、「今後の産業構造、雇用構造の動向に十分対応できるのかとの議論があるところであります」「年金一元化を含めた見直しは重要と考えております」とほぼ満足のいく答弁が返ってきた。官僚作成の総理答弁案に自民党年金改革派議員が手を入れ、書き直した成果だった。

この通常国会冒頭の代表質問をスタートに、4月1日の衆参両院の本会議決議によって、「年金制度をはじめとする社会保障制度改革に関する両院合同会議」の設置が決定するまでの間、私は2月の党首討論と3月の予算委員会で、年金問題を小泉総理と議論した。狙いは実効性ある協議の場づくりだった。

水面下で議論の場づくりの検討が進むなかで私が目指したのは、年金問題をまず期限を切って検討することと、検討テーマをなるべく具体化し、単なる時間稼ぎに終わらせないことの2点を約束させることだった。

翌平成18年秋の可能性が高いとされた総選挙の際に、年金制度をめぐって与野党が延々と協議しており、選挙の争点に出来ないという状況だけは是非避けたかった。このため、17年の秋頃に期限を設定した年金制度の議論にしたかったのである。そうすれば、万が一協議が進展しない場合には協議を打ち切り、翌年の総選挙の争点にすることも出来る。もちろん、協議が進展し、年金制度改革について与野党合意が出来るのであれば、国民にとって最も望ましいことである。

2月の党首討論は、小泉総理の答弁がいままでの議論の繰り返しに終わったため、具体的な進展は全くなかった。答弁の中で、小泉総理は突然に、参議院選挙前に強行採決によって成立した年金改革について、「昨年の年金改革は抜本改革の1つとして評価されるべき問題だと思っております」「将来持続可能な給付と負担と税負担、これをはっきり示した点において私は画期的な改革案だと評価しております」と発言した。

前年の改革が抜本改革でなかったというのは絶対に認められないというのが公明党の強い主張だった。私も抜本改革だったか否かという議論は控えるようにしていた。公明党を刺激しないほうがよいと考えたためである。しかし、小泉総理の突然の「画期的な改革案である」旨の発言を聞いて、公明党に対する遠慮・配慮を感じざるを得なかった。与党の中で協議推進派と反対派がせめぎ合っているのかなとの不安が強まった。それにしても、小泉総理がどう考えているのか見えてこなかった。

3月の予算委員会で私は、「まず年金制度の抜本改革を先行して議論していく、そのことについての総理の明確な答弁を求める」と主張した。年金の議論を先行させるという担保だけは、どうしても取っておきたかったのである。

これに対し小泉総理は、先の党首討論での答弁は「年金一元化から先に議論していいということだったんですよ」と答弁。2月の段階でそう明確に言ってくれれば、1カ月も足踏みする必要はなかったのである。いずれにせよ、年金改革を先行して議論する方向性がようやく明確になった。

総理の積極発言を受けて、国会に年金協議の場をつくることについて自民党と本格交渉に入った。党内には、与党の目的は4月の衆議院福岡2区と宮城2区の補選で年金を争点にしないことにあるのだから、あくまで対決型で行くべきだとの意見もあった。

しかし、協議の場をつくることが年金を争点でなくすることになるとは限らない。むしろ、早く協議を始めることが、改革案のある民主党と、民主党案を批判はしても案のない与党との違いを浮き彫りにすることにつながるかもしれない。そして何よりも、年金問題を与野党がしっかり議論することで本格的な改革案が出来れば、国民の立場からすればそれが最も望ましいことは明らかだと確信していた。早急に国会内に協議の場をつくることについて結論を得るよう、川端幹事長や鉢呂国対委員長に指示した。

党内には、相変わらず与野党協議に否定的で、対決型国会を強調する意見もあった。このため、3月1日の党常任幹事会で、与党と年金協議の場設置の話し合いに入ることについて了承を得ると、8日に両院議員懇談会を開催して党会派所属全議員に報告し、代表としての私の責任でやらせてもらいたいと強調した。

その翌日の9日、自公民3党の幹事長・国対委員長会談を開いて与野党協議に入ることで基本合意し、多くの困難を乗り越えながら議論を進めた。そして、25日の与野党5党幹事長会談において、社民党と共産党も参加の上、全政党が参加する衆参両院合同会議を設置し、秋までに年金改革の骨格をまとめることで正式合意、4月1日の衆参本会議でこれが決議された。与野党が協議する場を衆参両院の垣根を越えて設置し、本会議決議でこれを担保するというのは、国会の歴史の中でも画期的なことだった。

平成17年4月6日の党首討論では、年金制度をはじめとする社会保障制度改革に関する両院合同会議開催にあたり、議論の今後の方向付けのための質疑を行った。

まず私は、合同会議の設置を「非常に喜んでいます」と率直に述べた。確かに、いままでにない画期的な合同会議だった。政党間の協議ではなく国会という公開の場で議論すること、衆議院と参議院が合同で議論するという長い国会の歴史の中でも珍しいやり方であること、円テーブルでお互いマイクを前にして議員間で議論すること、いずれも国会審議の新しいやり方だった。そして、17年の秋までに年金改革の骨格を作り上げることを確認したことは最大のポイントだった。いつまでもズルズルと議論を引き延ばすことがないよう明文でそのことを確認したのである。

ただし、この日の審議の小泉総理とのやり取りの中で、将来への不安を感じさせる点があったことも事実である。重要な衆議院補欠選挙を前にしての党首討論だったため、お互い失言をしないように慎重なやり取りになったことはやむを得ない。それにしても、あれだけ何度も与野党を超えた協議が必要と強調し、時には挑発してきた小泉総理から、何が何でも年金改革を実現するという熱意は伝わってこなかった。

私は小泉総理に、今年の秋までに年金改革の骨格を得ると合意したことを改めて国民に対して約束していただきたいと求めた。これに対して小泉総理は、「今、岡田代表が言われた趣旨に則って成果を上げられるよう、各党建設的な議論をしていただきたいと、心から期待しております」と答弁。

他人事ではなく自民党総裁として答弁を、との重ねての質問に対しても、「立場を超えて、率直に、まとめ上げる努力をしていきたい」と述べるにとどまり、年金改革の骨格を17年の秋までにという合意文書に明示された約束の言葉は、小泉総理の口からはとうとう出なかった。

私は民主党の考え方について、①全国民を対象とした年金制度の一元化を実現する、①最低保障年金(基礎年金)部分は全額税方式にする、③2階部分は所得に応じて保険料を負担し、払った保険料に応じて年金を受給する所得比例年金とする、③保険料率の上限は15%を超えない範囲とする、④納税者番号制を導入する――の5点であると説明。その上で、自民党案を明らかにすべきであるが、果たして具体案は出てくるのかと質した。

小泉総理は例によって、納税者番号制の困難さや税方式としたときの生活保護との違いなど、いままで何度も言い古された民主党案の問題点を指摘した。その上で、「厚生年金と共済年金の一元化がまず先だ、それははっきり申し上げます」と発言。「年金一元化が望ましい」という小泉総理の発言も今回はなく、いままで自民党が主張してきたことと何も変わらない内容だった。

私は自民党案を述べるように質問したのに、民主党案のコメントしかない、それではそれぞれが具体案を持って議論するという与野党合意はどうなったのかと指摘した。しかし、具体論は合同会議でも出来る。せっかく画期的な合意が出来たのに、党首討論でこれ以上対立の構図にしたくないという思いで、それ以上の追及は控えることにした。小泉総理の年金に関する発言は、その場その場で変幻自在、全く一貫性がなかった。おそらく、与党間の意見対立を反映して、答弁が揺れていたのだと思う。

最後に私は、「この年金の問題は誰が議論しても難しい問題だと思います。少子高齢化の中で保険料の負担は増えていく、給付は増えないという状態、しかし、国民の皆さんは、そのことは十分わかったうえで、安定した、将来確実にもらえる制度を政治の責任でしっかりつくってもらいたいと思っていると思うんです」「お互い政治家としてしっかりとした議論をしていきたいと思います」と締めくくった。何とか年金改革をやり遂げたいという私の思いがこもった発言だった。

足踏みした合同会議の議論

平成17年4月に実質第1回目の合同会議が開催された。衆参両院の35名の議員による自由討議を中心とする、いままでの国会では珍しい方式の導入である。会議は計2時間半、まず各党代表が基本的見解を述べたうえで、自由討議に入った。私は正規のメンバーではなかったが、第1回ということで、自ら希望して出席し、議論に参加した。

まず、自民党の丹羽雄哉社会保障制度調査会長が発言した。丹羽議員の発言内容は従来の政府の主張と何ら変わらず、大きな失望を感じさせるものだった。

まず一元化について、「国民年金を含めたすべての一元化について否定しているわけではありません」と述べたうえで、一元化のためには乗り越えるべき様々な課題があり、「これらの課題を克服せずに一挙に一元化というのは、あまりにも非現実的な議論と言わざるを得ない」と断言。一元化を目指して、その課題を克服するための議論の場をつくったのでなかったのだろうか。

税方式の導入についても、「これは、医療や介護などを含めた社会保障制度の根幹を覆すものであります」「年金の未納、未加入者があるからといって、安易に税方式を主張するのは極めて短絡的な考えと、あえて言わざるを得ません」と断定的に発言。

一体何のために合同会議を設置したのか。むしろ、合同会議設置そのものに反対であるかのような挑発的な発言に驚いた。小泉総理が何度も与野党を超えて議論すべきと強調してきたことは、一体何だったのだろうか。

公明党の冬柴鐵三幹事長も、前年の年金制度改革について「持続可能で国民の老後生活の基本的な部分を支えるに足りる給付水準を確保した優れた抜本改革であった」と発言。さらに、前年成立した法律の附則に「年金制度の一元化を展望しつつ」と与野党共同修正で明記したことについて、「展望ということは、直ちに入れるということではなく、遠くの目的として眺めながら、今のことをどうするのか、そういうことでしょう」と挑発した。抜本改革の議論は必要ないと聞こえかねない暴言だった。

私が民主党を代表して発言した。まず、なぜ年金改革が必要なのかという点について3点述べた。第1に公的年金制度に対する国民の信頼が失われており、その不信感を取り除き、持続可能で国民が納得できる制度の組み立てが重要であること、第2に働き方が多様化し、かつ転職も当たり前の時代が到来しているなかで、新しい時代のライフスタイルに合わせた仕組みをつくらなければならないこと、第3に国民年金制度の空洞化に対応する必要があることの3点である。その上で、「小手先の数字合わせではなく、多様なライフスタイルに合った中立で公正な制度、分かりやすい制度、持続可能な制度、そういったものを政治が勇気を持って構築しなければならない」と発言した。

さらに、丹羽議員の「一元化は非現実的」との発言については、「最終的に国民年金を含めた一元化をやるんだという決意を持って、それぞれの問題についてどうすれば乗り越えられるかとういう議論をしなければ、総理も望ましいと言われる国民年金を含む一元化はできない。そこの基本的なスタンスが非常に重要だと思っています」と反論。税方式は問題との発言についても、「国民年金が現実に壊れていることへの対応をどう考えているのか」、「社会保険方式と目的税に基づく税方式と一体どこがどう違うのか」と反論した。

与党側の発言は、その大部分が従来の政府見解を出るものでなく、前年の改革で年金改革は基本的に終わっており、残されたのは基礎年金の国庫負担を2分の1に引き上げることと、公務員の共済年金と会社員の厚生年金を統合することだけだとの趣旨で統一されていた。それでは何のために合同会議を設置したのか、極めて期待外れの議論が多かった。本当にこの場で秋までに年金制度の抜本改革を議論し、成案を得るつもりがあるのか、大きな疑問が残った。

そういう中で、自民党の柳澤伯夫議員が「民主党さんの多くの方が言ったように、雇用の形態とかあるいは生活の形態というのが全く変わってきたことに対して誠実に年金制度も対応すべきだ、このように思っておりまして、改革である限り相当ドラスチックなことも避けられないというように実は思っています」と発言したことは嬉しかった。問題は、自民党の中にも根強くあるはずの柳澤さんのような真面目な声が、この合同会議ではほとんど聞かれなかったことである。

この1回目の合同会議の6日後、平成17年4月20日に党首討論が行われた。私は、合同会議を何とか軌道に乗せたいと必死だった。これから秋に向けて、年金の抜本改革の骨格を作る決意はあるのか明確に述べてもらいたいと小泉総理に質問した。

小泉総理は、「意見が違うから駄目だ駄目だと非難し合ってどういう建設的な成果が望めるんでしょうか」と述べたうえで、年金一元化の問題や納税者番号の問題について「お互い歩み寄りの可能性を探っていくのがあの協議会じゃないでしょうか」と答弁。協議に前向きの姿勢は一応見せた。しかし、具体論になると全く駄目だった。

私が、国民年金は4割の人がきちんと保険料を払っておらず、事実上壊れている、具体的にどうするかという提案はないのかと問うたのに対しては、「民主党が案を持っているんならまずそれを提示して、そしてそれから協議を始めていこうというのがどうしておかしいんですか。自民党それ拒否してないんですよ」と答弁。

合同会議に各政党がお互い案を持ち寄って議論することは、合同会議設置を決めた国会決議にも定めてあるにもかかわらず、自民党は具体案を示さないまま民主党案を批判している。自民党案を出さないことに対して何の説明もないまま、開き直るばかりだった。

さらに2カ月後の平成17年6月、決算行政監視委員会においても年金の問題を取り上げた。このときまでに合同会議は実質3回開催されていたが、議論は入口論のところで堂々めぐりを続けていた。

私は小泉総理に、郵政民営化法案に見せる小泉総理のリーダーシップの半分でいいから発揮してもらいたいと、皮肉を込めて発言した。

しかし、小泉総理は年金一元化の問題を例に挙げて、「まずは厚生年金と共済年金を一元化するときにはどういう方法があるんだという議論を進めても、私は決しておかしくないと思うのであります」と答弁。これでは秋までに年金の抜本改革の骨格を作るとの約束は全く果たされないことになる。小泉総理に対する私の不信感は募っていった。

ついに先送りされた年金改革

合同会議は実質的には4回開催されたところで、8月8日の衆議院解散、総選挙となり中断してしまった。そして、その後合同会議が開催されることはなかった。年金をはじめとする社会保障制度について、超党派で積極的に話し合うという試みは、結局何だったのだろうか。

各政党、そしてそれぞれの政治家が、様々な思いの中で年金制度の改革に超党派で取り組むという新たな試みにチャレンジした。その中には、実質的な協議をするつもりはなく、単に選挙の争点にしたくないという思惑だけの政治家もいた。果たして、小泉総理はどうだったのか。私が当事者となった3党合意を何度も国会答弁の中で引用したのは、与野党を超えて年金や社会保障制度改革を是非ともやり遂げたいということだったのか。それとも、前々回の総選挙、そして参議院選挙と、年金問題で手痛い敗北をしたことを教訓に、選挙の争点にしないための方便だったのか。

私も合同会議の場が悪用される可能性を心配しなかったわけではない。秋までに年金改革の骨格を作り上げるという確認を合意文書の中に明記することにこだわったのは、そのためでもある。平成17年度中の総選挙の可能性は高くない、したがって、秋までに年金改革の骨格について議論が収束するよう全力を挙げよう。しかし、仮にまとまらなければ、約束違反を理由に会議をストップすることも視野に置いていた。そのときは平成18年度の可能性が高いとされた総選挙における最大のテーマは、年金になるだろうと思っていた。

しかし、現実には平成17年に郵政解散が突然行われた。民主党は年金改革と子育て支援を最大の争点として懸命に訴えたが、国民の関心は郵政民営化に集中した。自民党は、民主党の年金改革の内容の批判ではなく、私が「将来年金目的消費税3%の導入は避けられない」と主張していたことを捉えて、岡田民主党は消費税を上げようとしているとの批判を集中的に行った。野党の正直な提案の揚げ足を取るという、決して良い選挙のやり方とはいえなかったと思う。

小泉総理は当初から郵政解散を目論んで、そのための布石を打ってきたとの見方も有力である。私も現時点ではその可能性が高いと思っている。仮にそうだとしたら、あれだけのエネルギーを注入し、国会の本会議決議までして行った年金合同会議の協議は、総選挙で年金を争点にしないための仕掛けの1つに過ぎなかったということになりかねない。しかし、それは国民に対して正直なやり方とはとても言えない。

いずれにせよ、私が平成17年通常国会で最も力点を置いたのは、年金の抜本改革の道筋を付けることであり、合同会議の設置に向けて、私が通常国会で行った本会議代表質問、計5回の党首討論、予算委員会、決算行政監視委員会では必ず年金問題、特に合同会議の設置の問題を取り上げてきた。年金問題をテーマとしなかったのは、6月2日の予算委員会だけである。

いま改めて国会議事録を読み返すと、「政権準備党」の代表として、あまりにも年金問題に力点を置きすぎたかもしれないという反省の気持ちもある。しかし、国民にとって非常に重要な社会保障制度、とりわけ年金制度の抜本改革について正面から議論しようとしたことに対して、私はいまも後悔していない。

あれほどの熱を帯びた年金制度の抜本改革の論議は、結局先送りされた。平成18年5月には、国会における政党間協議と並行して行われていた、政府税調会長、日本経団連や連合の代表などからなる「社会保障の在り方に関する懇談会」も、年金一元化は将来的な選択肢の1つであり、まず共済年金と厚生年金の一元化から始めるべき、一元化は税方式ではなく社会保険方式を基本として検討すべき、などとした結論をまとめて終了した。いままでの政府見解にお墨付きを与えただけだった。共済・厚生年金保険料率の上限を15%とする、基礎年金部分を税方式とする、などの経団連や連合、そして民主党の主張が受け入れられることはなかった。

この間、明らかになった平成17年の合計特殊出生率は1.25人と、政府が年金改革にあたって推計していた平成17年時点の出生率1.31人をさらに下回った。また、国民年金の納付率を上げるために、納付者自身の申請があって初めて手続きすることとなっている保険料の免除を社会保険庁が勝手に行ったり、免除の所得基準額に達していない人を免除したりと、信じられないような社保庁の偽装も表面化した。

本来、払う意思のない人々から保険料を徴収することに無理があり、払いたくない人々の背景にあるのは、払ってももらえないという年金不信である。年金制度が構造的な危機に直面していることは何も変わっていない。その中で、年金制度の構造改革は先送りされ続けているのである。

新たな年金制度の構想

民主党は年金改革の方向性について、具体案を提示している。すなわち、現在の基礎年金・国民年金を一元化し、税を財源とした「最低保障年金」とすること、そして、いわゆる2階建て部分(報酬比例部分)については、所得に応じて保険料を払い、払った保険料に応じて年金が支給される「所得比例年金」とするとの構想である。

この構想に対しては、年金は税方式ではなく社会保険方式が望ましいとか、自営業者の所得の捕捉が出来ないため国民年金加入者に所得比例年金を支給できないとか、国民年金には事業主負担がないので保険料負担が過大になるといった批判が寄せられている。

しかし、いずれも克服可能な指摘である。税方式と社会保険方式の違いは学者の議論としてはあっても、年金目的消費税のような形で目的税化すれば、社会保険方式による保険料と同じと考えてよい。

そもそも、政府案でも国民年金・基礎年金については税負担の割合を2分の1にまで高めることにしている。目的税化した税方式と社会保険方式の差は実質的にはない。むしろ、徴収コストがかからず、確実に徴収できることのメリットを考えるべきだろう。

自営業者の所得捕捉が出来ないとの議論は理屈の上では認めがたいが、現実問題として完全捕捉が困難であることも事実。納税者番号制の導入や脱税に対する罰則強化など、可能な限り捕捉可能となるよう努力が必要である。事業主負担分をどうするかの問題は、確かに厄介な問題である。事業主部分も含めて負担してもらう、個人事業主については2階建て部分について特例を置き、完全には一元化しないなどの対応が考えられる。いずれにせよ、こういった内容の議論に入ることなく政党間の協議が終わってしまったことは、本当に残念である。

最後に、年金改革について、民主党案以外に今一つの私なりの選択肢を示しておきたい。まだ構想の段階であり、今後専門家が議論する際の1つのたたき台となれば幸いである。

まず、いかなる職業にあろうとも、老後の最低限の保障として受け取る年金制度を確立する。現在の基礎年金・国民年金を完全に一元化し、当面必要とされる年間約18兆円の財源は7%の年金目的消費税で全額まかなう。徴収コストはかからず、また、今後受給者が激増すると見られている高齢者の生活保護も原則的に必要なくなる。念のため言えば、7%の年金目的消費税導入は、消費税を7%分増税することを必ずしも意味するものではない。

その上で、いわゆる2階建て部分は積立方式へと転換する。いままで支払った保険料相当額は、積立方式への移行により、原則的には本人の年金の原資としてカウントされる。保険料は所得水準に応じてその一定割合を積み立ててもらうことになるが、払わない人にはその分年金が減額されるという明確なデメリットが与えられる。積立金の運用は民間の指定運用機関に任せることとし、年金加入者はいくつかの選択肢の中から選ぶことが可能になる。将来は、2階建て部分については民営化も視野に置くべきかもしれない。

以上の案に対して予想される反論は、本来保険料はそのときの年金世代のために使われるべきものであり(賦課方式)、自分のための積立方式に転換すれば、巨額の原資不足に陥るというものである。しかし、これはいわゆる「過去債務」の問題の一部が顕在化したに過ぎないと言うべきだろう。

過去債務の問題はいままで明示的に議論されてこなかった。あまりにも大きすぎて議論することをためらってきたと言ったほうが正しいかもしれない。

しかし、現状において過去債務、すなわち現行制度の下で政府が約束した年金給付額の総額から積立金の総額を引いたものは600兆円近いとされている。ここをどうするかという点について、しっかりと議論すべきときが来ている。私の案では、基礎年金はその時々の消費税でまかない、所得比例年金は積立方式に転換するので、将来の過去債務は発生しない。いずれにせよ、いままでの過去債務を切り離して、国民から分かりやすい形で額を固定し、30年から50年程度かけて解消していくしかない。

年金は個人にとって最後の生活保障である。最低保障年金という形で、すべての人々が確実に一定額の年金を支給されるという安心感は何物にも代えがたい。いま国民の中にある年金不信は、過去債務の問題に象徴されるように、政府が正直に問題点を示していない、その結果、どこまで悪くなるのか分からないという不安感に基づくものである。小泉自民党政権が行ったような中途半端な部分的改革、先送りの手法と決別して、本当の年金構造改革を実現することが求められている。

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