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第2章 テロとの闘いからイラク戦争へ
平成13年9月11日夜、九段の衆議院議員宿舎に帰宅して、いつものようにテレビをつけた。突然、焼上する世界貿易センタービルが映し出された。航空機が衝突した結果だという。その瞬間、テロだろうと思った。画像がリアルタイムで送られてくるなかで、もう1機、航空機が激突した。テレビ解説者も今度はテロだと断定した言い方になった。歴史に残る9.11テロの発生である。
米国は、ウサマ・ビンラディンをリーダーとするテロ集団「アルカイダ」が今回のテロの犯人であり、そのアルカイダはアフガニスタンを実効支配していた武装集団「タリバン」によってかくまわれていると断定。自衛権の行使を理由にタリバン軍事施設に対する攻撃、すなわち武力行使を開始した。日本がこれに対し、どのような協力を行うべきか、そして、そのための論理をどう構成するかが問われたのが、テロ対策特別措置法をめぐる議論である。
超大国米国のシンボルともいうべき世界貿易センタービルが無惨に崩れ落ち、3000人を超える罪のない市民が命を落とした。私は、これは日米同盟関係そのものが問われる事態だと直感した。米国に対して可能な限りの協力がなされなければならない。もちろん、日本国憲法の許す範囲で、である。
米国のアフガニスタンにおけるアルカイダに対する武力行使は自衛権の行使として正当化される。そして、その後、国連安全保障理事会が「あらゆる手段により、テロ行為に起因する国際の平和と安全に対する脅威と闘う」と決議したことで、米国はじめ各国が武力行使することの正当性が国連によって与えられた。この国際社会の一致した認識と行動に対し、日本も武力行使に至らない範囲で極力自衛隊は協力すべきであるし、そのための根拠とする法律を早急に制定すべきだと私は考えた。
政府は、米国のアフガニスタンにおける軍事活動に対して、自衛隊を派遣して協力することを決定し、そのための法案、テロ対策特別措置法案(テロ特措法案)を準備していた。このテロ特措法案を審議するため、10月9日、衆議院にテロ防止特別委員会、略称「テロ特」が設置され、私は民主党の筆頭理事に就任した。当時、私は民主党の政策調査会長だった。事態の緊急性から、法案審議にあまり時間はかけられなかった。政策の責任者である私が委員会運営、そして自民党との交渉も含めて責任を持つ体制となったのである。
私は、筆頭理事就任を引き受けるにあたり、交渉の窓口を私1人に絞るなら、という条件を付けた。実は、民主党スタート時のいわゆる金融国会で苦い思い出があった。当時、政調会長代理だった私は、自民党との交渉役とされながら、実は交渉の窓口は私だけではなかった。気が付くとあちこちで自民党と交渉している。自民党は全体像を把握しながらやっていたが民主党はバラバラで、戦い方として下手だった。民主党にとって良い結果を期待するなら、私1人に任せてほしいと役員会の場で念を押した。交渉相手である自民党側の筆頭理事は安全保障問題に詳しい旧知の久間章生さんだった。
平成13年10月12日のテロ特別委員会で、私は120分間の質問を行い、論点を整理した。
今回の自衛隊派遣は、日本の安全に直接関係しないインド洋への派遣である。国連が正当化したとはいえ、米軍の自衛権の行使に起因する武力行使に対する支援である。その意味で、いままでの自衛隊の海外派遣とは質的に異なる点を持っていた。したがって、重要な論点がいくつかあった。自衛隊を派遣することは必要であると認識しつつ、問題点を明らかにし、そこにきちんと歯止めをかけることが民主党の役割だと認識していた。
私がまず問題提起したのは、犯人とされたウサマ・ビンラディンとその配下にあるテロ組織アルカイダが本当に犯人であるのかという点、そして、ビンラディンやアルカイダと、アフガニスタンの武装勢力であったタリバンの関係が明確なのかという点だった。
まずタリバンについて、単にビンラディンをかくまっているだけで攻撃していいのかと質問した。小泉総理は「ビンラディンを破壊しない限りテロの不安はなくならない」「これに対して攻撃を加えているというのは、私は、それなりの理由があると思っております」と答弁した。いつもながらの粗い答弁である。武力行使の正当性が問われており、国民に対してきちんと説明する責任が総理にはあるはずである。
私は、野党の質問者としては極めて異例なことながら、小泉総理の答弁を補足することにした。この時点で私は、政府案を修正したうえで、できれば賛成したいと考えていた。その前提として、国民にできるだけ自衛隊の派遣に納得してもらいたかったのである。
タリバンとビンラディンの関係は、1998年のケニアおよびタンザニアにおける爆弾テロ事件に際し、両者が密接な関係にあることを国連安保理が認め、タリバンに対して経済制裁を行った経緯があった。そして、今回についても安保理はタリバンに対し、ビンラディンの引き渡しを求めていた。最近でこそ、日本においても、ソ連のアフガン侵攻に対抗したタリバンと、それを支援したビンラディンの関係は広く知られるところとなっている。しかし当時、日本ではビンラディンはほとんど無名で、タリバンも聞き慣れない言葉だった。まして両者の関係を認識している人は限られており、一般的にはあまり関心を持たれていなかった。私は、丁寧に説明することで、専門家の間では疑う人がいないほど明らかだったビンラディンとタリバンの密接な関係について、国民にもできるだけ理解してもらいたいと思ったのである。
次に私が政府に明確にすることを求めたのは、ビンラディンとその配下組織アルカイダが今回のテロ事件の犯人であることの説明である。政府は私の求めに応じて、テロ特別委員会において、この点についてあらかじめ以下のような説明を行っていた。すなわち、米国政府のみならず、英国、フランス、パキスタン、ロシア政府なども犯人はビンラディンとアルカイダであることを公式・非公式に認めている。ビンラディン自身も9.11テロを称賛し、かつ自らの関与を否認していない、と。
しかし、外国政府が言うからといって、それを鵜呑みにするだけでは十分とは言えない。自衛権行使という武力行使の正当性が問われているのである。
小泉総理はテロ特別委員会の中で、「ブッシュ大統領の私への説明を始め、米国との累次の情報交換において説得力のある説明を受けている」と発言していた。
私は、「小泉総理が米国政府から確信に足るだけの情報を得ていることがポイントだ」と主張した。もちろん、その提供された情報の内容について、公にすることができないものがあることは理解できる。しかし、「仮にその米国からの非公式の情報、ビンラディンが犯人であることの証拠および判断が誤っていたときには、総理は責任を負わなければならない」と述べた。
小泉総理は「責任を負っているのは当然であります」と述べたうえで、「ビンラディンが犯人である証拠を発表できないからこの国際社会の協調体制に立ち向かうことができないといった責任の方が私は大きいと思っております」と答弁。いつもながらのすり替え答弁である。
私は犯人であるとの証拠を発表できないなら日本は協力すべきでないとは一言も述べていない。国民には開示できない特別な米国政府の情報によって、小泉総理および日本政府が犯人はビンラディンであると判断した以上、それが誤った判断であった場合にはその責任を負うべきだ、その覚悟を示せ、と主張しているのである。
私の再度の質問に対し、小泉総理は「最初に、冒頭に申し上げたとおり、責任を負っております」と素っ気なく答弁した。
小泉総理の答弁に強い違和感を覚えずにはいられなかった。ビンラディンが本当に犯人かどうか、自ら責任を持って判断し、判断が誤っていればそのことに対して責任を負う。武力行使によって、多くの人々が戦渦に巻き込まれ、生命を奪われたり、家族や生活の基盤を失ったりすることになりかねない。自衛のためという大義、そしてその前提として、本当の犯人の特定ということがあって初めて、辛うじて正当化されるのが今回の武力行使である。日本自らは武力行使しないにしても、米国の武力行使に協力するということは重いことである。小泉総理は、自身が重大な意思決定を行う当事者であるという十分な認識を欠いているのではないかという印象が強く残った。そして、この武力行使に対する安易な姿勢は、いま振り返ってみると、後のイラク戦争における、米国の攻撃に対する小泉総理の安易な支持表明につながるものがあったと思う。
次に私が問題提起したのは、自衛隊を派遣するにあたり、国会の事前承認が必要だという点である。この点は、最終的に民主党が法案に賛成できなかった唯一最大のポイントになった。
自衛隊が防衛出動や治安出動をする場合、法律上、国会が事前に承認することが必要とされている。これは、自衛隊という実力組織を動かすことに対して、政府の判断だけでなく、国民から選ばれた国会の判断を必要とすることで、シビリアン・コントロールをより確実なものにするとの趣旨に基づくものである。国民に選ばれた国会の果たすべき重要な役割の1つである。
だからこそ、平成4年のPKO(国連平和維持活動)協力法制定時においても、野党の修正要求に与党が応じることによって、国会の事前承認の規定が追加された。また、平成11年に制定された周辺事態法においても、政府原案には国会の事前承認は含まれていなかったが、各党協議の中で、自衛隊が出動するに際して国会の事前承認を必要とするよう修正されたという経緯があった。
国会の事前承認が必要であるとの私の主張に対し、小泉総理は「時限立法ですから、私は、行政の裁量権というのはこの審議を踏まえて与えられてもいいのではないかと政府としては考えているのです」と答弁。法案自体が米国の同時多発テロに対応するという限定されたものであり、かつ2年の時限立法であるので、法案を国会で成立させることで国会の関与は十分であり、国会の承認行為は必要ないとの論理である。
ただし、小泉総理は「承認を必要とするんだという意見もわかっていますけれども、そういう中で、あえて私ども政府としては、政府の裁量権を与えてくれてもいいんじゃないかということを言っているわけです」とも述べ、微妙な含みを持たせた。
水面下の久間さんとの折衝では、この国会承認の問題が最大の争点になっていた。また、公明党の中にも国会承認に前向きな意見があった。あえて「私ども政府としては」という表現を使うことで、政党の判断が国会承認を必要とするということであれば、それに従う余地があるとのニュアンスを持たせたのである。
この日の議論では、その他にも、当時治安が安定していなかったパキスタンにまで自衛隊を派遣することにするのか、武器・弾薬の輸送を行うのか、武力行使に至らない武器使用の具体的な範囲はどこまでなのか、といった点についても議論を行った。いずれも自民党と議論・交渉していた論点だった。おおむね前向きの良い議論ができたと思う。
ただし、内容のある議論ができたのは、私と福田官房長官との間のやり取りである。小泉総理は形式的な答弁が多く、これらの議論にほとんど関心がないように思えた。
実は、この日の議論の中で、安全保障に関する基本的な議論を小泉総理との間で行っている。いま改めて議事録を読み直してみても、その後のイラク戦争に対する小泉総理の対応を予想させる極めて重要なやり取りだった。
私は「本来、世界の平和を守っていくために、国連中心の集団安全保障という考え方、それから各国の自衛権の発動という考え方、これはどういう関係にあるべきだ、総理はどういうふうにお考えでしょうか」と質問した。
小泉総理は、雄弁だった。
「まず、国連中心、集団的自衛権が必要との観点に立っても自衛権の確立が大事だと思います。まず、みずからの国はみずからで守るという意欲のない国にどうしてほかの国が援助の手を差し伸べるでしょうか。(中略)自国のことは自国でやるという姿勢をみて、初めて他国が援助の手を差し伸べると思うのであります。それが国連中心です」
そこで私は国連憲章51条を指摘した。国際社会の中で、他国に対して武力行使する侵略国が出てきたときに、基本的には国連安保理の決議に基づく武力行使で対応することになっている。各国の自衛権の行使は、国連安保理の対応がなされる前の限定的なものとして認められるというのが、国連憲章の最も基本的かつ重要な考え方である。各国が自衛権の行使という名の下に、勝手に武力行使を始めることを制限するために、国連の枠組みができていることを忘れてはならないと強調した。
自国のことは自国でやるという自衛権の重要性を強調する小泉総理の論理もよく分かる。しかし、国連中心の集団安全保障と自衛権の行使の関係を質問したことに対する答弁としてはピントがズレていた。果たして、小泉総理の念頭に国連憲章51条の存在があったのか、疑問に思わせる答弁だった。
私は改めて、今回の米国の武力行使に対して、小泉総理が「断固支持する」と発言したことに対して、あえて疑問を呈した。米国が自衛権行使の名の下に武力行使したことに対して、「本来であればこういうことは望ましくないんだ、一番いいのは国連中心でやっていくことなんだ、しかし現実はなかなかそういかない、政治家として理想と現実の相克に悩む姿が少しは垣間見えたほうがいいのではないか」と指摘したのである。
小泉総理は猛然と反論した。
「アメリカと同盟国でない国もアメリカを支持している。同盟国日本がちょっと待ってくださいと言ってどうなるんですか」「むしろ断固支持しない方が、日本政府、日本国民の信頼を国際社会で落とすことになると私は思います」
私はさらに反論した。
「小泉総理の話は、ほかの国に日本が乗り遅れてはいけないというふうに聞こえる。しかし、本来日本が主体的に判断する話だ」「あのコソボにNATO軍が空爆を行ったとき、我が国政府は断固支持と言ったでしょうか。やむを得ずとられた措置だと理解するという言い方をしました。スーダンへのテロ報復攻撃に対しても、十分理解するという言い方にとどめました」
いままで日本政府がこのような表現にとどめてきたのは、国連憲章重視の考え方、つまり、自衛権の行使は国連安保理の決議がなされるまでの限定的なものにとどめるべきだとの考え方を日本政府としては最大限尊重する、という基本姿勢に基づくものである。私は「総理を見ていると、そういう思慮深さが全然うかがえないものですから、そして、ほかの国もどんどん行くから日本も行かなきゃいけないんだ、そういう強迫観念に駆られて行動しておられるように見えるものですから申し上げているわけです」と付け加えた。
さらに私は、米国に対して感じていた懸念を表明した。
「テロのネットワークを破壊するためにどんどん武力行使していくんだとか、そういう形でたがが外れたようなやり方は避けるべきだ、もっと思慮深く行動すべきだということを、総理がブッシュ大統領に言うべきなんじゃないんですか」「米国が武力行使するのは、今回の、9月11日に発生したテロ攻撃に対する自衛権の発動に限られるべきであって、一般的なテロ撲滅のためには、国連全体の中の枠組みで解決していくという姿勢が私は重要だと思う」
この私の懸念はその後、米国のイラク攻撃によって現実のものとなった。いや、イラクというビンラディンやアルカイダのテロネットワークと直接関係のない国を、テロとの戦いとの大義名分の下で攻撃したという意味では、その後の事態は私の懸念を大きく超えて進展したと言えよう。
このときの議論で小泉総理に理解してもらいたかったのは、テロとの戦争というブッシュ政権の考え方が、各国の独自判断による武力行使を極力制限するという、戦後60年間、国際社会が共有してきたはずの安全保障の基本的な考え方を大きく変えかねないものだということである。しかし、小泉総理は知ってか知らずか、「断固支持」にこだわり続けた。そしてこのことは、その後のイラク戦争に対する支持表明につながっていくのである。
週末を利用して、自民党との交渉を本格化させた。交渉に当たったのは、テロ特別委員会の理事であった私と安住淳議員、自民党側は久間さんと中谷元さんだった。政調会長代理だった枝野幸男さんが後方からサポートしてくれていた。双方が議論しながら論点を整理していった。焦点の1つであったパキスタン国内での活動については、武器・弾薬の陸上輸送はしないことで決着する見通しができた。
10月14日日曜日の段階で、最後まで残っていたのが国会の事前承認の問題だった。久間さんもこの問題については、とても自信がない感じで、小泉総理がどう考えているか分からないと言う。この日、総理は韓国訪問中で不在だった。直接確認することは難しい。福田官房長官も捕まらなかった。結局、安倍官房副長官を連絡役にしてはどうか、ということになり、交渉を行っていたホテルに安倍さんを呼んだ。
久間さんと私から経緯を話したあと、私と安住さんから国会の事前承認が最も重要なポイントで、これが認められなければ法案に賛成できない、しかし、この点が認められれば党内をまとめることは可能だと説明し、官房副長官の尽力をお願いした。予想された党首会談に備えて、かなり念入りに打ち合わせも行ったが、残念ながらこれは結実しなかった。
翌月曜日、小泉総理が韓国から夕方に戻るのに合わせて、自民・民主両党の党首会談が行われることが正式に決まった。このとき、民主党内には法案について賛否両論あった。戦争している地域の近くまで自衛隊を送るのであり、いままでのPKOとは全く異なる一歩踏み込んだ法案である。意見が分かれるのは当然である。しかし、ここは1つに集約しなければならない。党首会談の直前の両院議員総会で、私は自民党もかなり譲歩していることを強調し、法案修正によって国会の事前承認が実現すれば法案全体について賛成する、それが認められなければ反対するということで、何とか党内の一任を取り付けた。
公明党が直前の与党間協議で自民・民主両党が合意することを警戒して強硬に事前承認制に反対している、との情報が入っていた。楽観はできなかった。しかし、党首会談を自民党側から呼びかける以上、まとめる気はあるのだろう、小泉総理にとっても民主党の賛成を得ることはメリットが大きいはずだと予想していた。
私は鳩山由起夫代表に、まとまる可能性は50%だと自分の見通しを話した。その上で、党首会談において事前承認が認められれば法案に賛成、認められなければ反対しようと改めて確認した。
総理官邸では、自民党側が小泉総理、山崎拓幹事長、久間政調会長代理、民主党側が鳩山代表、菅幹事長と私が出席し、交渉することになった。
国会の事前承認をめぐって、冒頭から菅さんと山崎幹事長との間で激論になった。私と久間さんも議論に参加した。私は、シビリアン・コントロールの観点から国会の事前承認が必要であることを強調した。総理の後ろに控えていた総理秘書官の小野次郎さん(現衆議院議員)がしきりと相づちを打つようにうなずいた。
小野さんは大学の同級生で長い友人だった。当時は警察庁から総理秘書官として官邸に出向していた。なぜあのときうなずいたのか、あとで本人に聞くと、私の意見にもっともなところがあると思ったので、思わずうなずいてしまったと言う。もちろん、彼が何度もうなずいていることは、我々からは見えても小泉総理はじめ自民党側の交渉者からは見えていない。
小野さんの相づちで私は調子に乗って、より熱意を込めて山崎幹事長を説得しようとした。激論が続いた。この間、小泉総理は奇妙なほど無言だった。目を閉じてじっとしている姿は、寝ているのではないかと思わせるほどだった。
1時間ほど経過したところで、小泉総理が「それではここまでにしたい」と立ち上がった。突然の幕引きだった。今後のことを考えても、テロ特措法については民主党の賛成を得ておいたほうが良いと判断しているのではないかという予想は覆された。
いま考えても、なぜこのとき自民党が国会の事前承認を認めなかったのか、はっきりしない。自民党と民主党が重要テーマについて合意することに、公明党が警戒感を持って強く反対したとの説も有力ではある。
しかし、最大の問題は、自民党内に誤解があったことだと想像している。民主党は国会の事前承認がなくとも最後は妥協するとの誤ったメッセージが、山崎幹事長を通じて小泉総理に伝えられていた可能性が大きい。
交渉責任者である私が、事前承認が認められない限り賛成できないと明確に述べていたにもかかわらず、なぜ山崎幹事長が誤解したのだろうか。結局、交渉責任者である私以外の誰かが、山崎幹事長と勝手に楽観的な話をしていたのだと想像している。まだまだ民主党は未熟だった。
いずれにせよ、交渉はまとまらず、鳩山代表や菅幹事長には申し訳ないことになってしまった。ただし、私自身は交渉がまとまらなかったことに後悔はしていない。自衛隊の海外への出動にあたり、国会の事前承認を条件とすることは、シビリアン・コントロールの観点から譲ってはいけないポイントである。小泉総理や山崎幹事長は、国会の関与をなるべく小さくしたいという、外務省や防衛庁の官僚の意見を重視してしまった。国会の事前承認は政が官をコントロールする手段として重要であるという問題の本質、そして、自分たちも政治家であり国会議員であるということを忘れた対応だったと思う。
ただし率直に言って、同盟国米国が歴史的な困難にあるときに、それに対して支援する法案に賛成できなかったことは、いま思い出しても残念なことだった。民主党としてもそうだったが、特に私個人として残念でならなかった。しかも、党内は国会の事前承認さえ認められれば賛成ということでまとまっていたのである。
テロ特措法の成立から1カ月後、同法に基づく自衛隊派遣の国会事後承認の手続きが取られた。国会の事前承認制さえ実現すれば本来は法案に賛成だったとの立場から、民主党はこれには賛成したが、中途半端で分かりにくいという批判が出た。ほろ苦い思い出である。
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