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日本の近隣国である中国・韓国との関係をより良いものとしていくことは、日本自身の安全や豊かさに直結する日本外交の最重要課題の1つであることは言うまでもない。
韓国に対しては、かつて日本が植民地支配を行い、中国に対しては、侵略によって人的・物的に多大な損害を与えたという負の歴史がある。その過去を乗り越え、未来志向の関係を築くために、歴代総理はじめ多くの人々が努力を積み重ねてきた。
日韓関係については、平成10年の金大中大統領訪日が関係改善の大きなきっかけとなった。訪日した金大中大統領は、国会の本会議場で「わずか50年にも満たない不幸な歴史のために、1500年にわたる交流と協力の歴史全体を無意味なものにするということは、実に愚かなことであります」「過去を直視しながら、未来志向的な関係を築いていくべき時を迎えました」と演説した。私がそれまで聞いた政治家の演説で最も感動したものだった。
そして、小渕恵三総理と金大統領は「21世紀に向けた新しい日韓パートナーシップをうたう」旨の日韓共同宣言を発表した。韓国国内に根強い反日感情があるなかで、金大中大統領は政治的なリスクを取って日韓関係を大きく前進させた。小渕総理も率直に謝罪した。小渕総理と金大統領という2人のリーダーの大きな決断だったと思う。これをきっかけに、その後サッカー・ワールドカップの日韓共催の実現、最近の韓流ブームなど、民間レベルにおける日韓関係は大きく改善しつつある。
しかし、その日韓友好の大きな流れの妨げとなっているのが、いまの政治である。小泉総理の靖国神社参拝を理由として、盧武鉉大統領は日韓首脳会談の開催に反対している。日韓首脳会談が行われないのみならず、両国首脳が粗い言葉を発することで、それぞれの国民感情も悪化しつつある。
日中関係はより深刻である。アジアの中で急速に台頭する中国の存在は、経済的にも軍事的にも日本国民には大きく映る。超高層ビルが林立する上海の発展などに象徴される豊かさの拡大や、世界の企業の投資の集中は、日本人を複雑な気持ちにさせる。日本の雇用や豊かさが奪われているのではないかとの疑念を持つ人々もいる。核保有国である中国がミサイルや海軍を充実させていることに対しても、多くの日本人は懸念している。
他方で、中国から見た日本は、世界の超大国米国と一体となって軍事力を強化していると映っている。経済力も成長のスピードは緩やかになったとはいえ、世界第2位の経済大国日本の存在感は大きく、これと比べれば、中国は当分、中進国のままであり、いまだ格差は大きいと感じている。
そして、日本と中国はいずれも大きな国であり、当然のことながら両国間に様々な摩擦が発生する。韓国との関係も同じである。そして、そのたびに緊張が高まり、国民感情が刺激される。
だからこそ、政治の役割は重要である。日中・日韓それぞれのリーダーが国民の間に生じる狭いナショナリズムを緩和し、より前向きの信頼関係を築くことができるよう努力しなくてはならない。
日中両国は相互依存関係が深まり、相手国なしでは成り立たない状況になっている。日韓関係も同様である。将来のアジアをどうするかというビジョンを共有しながら、しっかりとした未来志向の協力関係を構築しなければならない。そして、そのことがアジアの平和と豊かさの実現のための基本のはずである。
しかし、現実は全く逆で、日中・日韓関係はいままでにない最悪の状況になっている。中国・韓国側は、小泉総理の靖国神社参拝こそ問題の根源だと主張し、小泉総理は「靖国参拝を止めても、日韓・日中関係が良くなるとは思わない」と言い続けている。このように日中・日韓の首脳が粗い言葉で相手を批判することによって、それぞれの国民感情も悪化している。特に、中国嫌いの日本人、日本嫌いの中国人や韓国人いずれもが増え続け、国民の中には排他的なナショナリズムが芽生えつつあるのではないかと強く懸念される状況にある。
私は率直に言って、中国や韓国のリーダーにも問題があると思っている。国内事情から、時として日本に強く出る傾向があることは否定できない。しかし、とりわけ小泉総理の責任は重い。小泉総理に欠けているのは、日本が民主主義の先輩であり、東アジアのリーダーであるとの自覚である。このままでは、小渕元総理はじめ先輩政治家たちの努力を水泡に帰すことになりかねない。日本自身とアジア全体の平和と豊かさの実現のため、リーダーはその責任を果たすべきである。
日中関係をめぐって小泉総理と本格的に議論したのは、平成17年4月の党首討論だった。その直前、3月16日に「竹島の日」を定める島根県の条例が成立したことをきっかけに韓国で反日デモが行われ、これが飛び火するように4月9日には中国・北京で1万人規模の反日デモが発生、瞬く間に中国全土に拡大した。日本中が衝撃を受けていた。
私はまず、日本領事館への投石、日本企業や日本人に対する危害は絶対に許されないことであり、中国政府に謝罪と賠償を求めるべきだと述べた。実は、質疑の前日に中国大使館を訪れ、王毅大使と日中関係について意見交換した際にも、同じことを申し入れてあったのである。大使には、石を投げる若者たちの姿など日本のメディアが報道しているニュース番組を中国首脳にも見せるべきだとアドバイスした。
その上で、中国の若者があれだけ怒っていることに対して、日本側にも反省が必要だ、総理は日本に何も問題がないと考えるのか、それとも何らかの問題があると考えるのかと質問した。
その瞬間に、党首討論の会場であった第1委員会室は騒然となった。中国が悪いに決まってるだろう、岡田はどっちの味方なんだ、という激しいヤジ。小泉総理は私の質問には全く答えず、「私は、日中重視の外交を取ってきたと思っております」と強調し、長々と答弁した。
日本全体が中国けしからんと怒っていた。テレビは投石する中国の若者や、それを止めようとしない中国の警官、破壊された領事館や日本の店舗の無残な姿などを繰り返し報じていた。確かに、投石がなされるままに放置したばかりか、そのことについて謝罪すらしない中国政府の対応は間違っている。
しかし、こういうときこそ、政治家は国民が冷静になるような言動を心がけなければならないと思う。私はそう考えて、あえてこの時期に日本にも問題があると発言した。閣僚はじめ与党政治家の中には、中国を一方的に批判する者も多かったのである。その中で、小泉総理が国民の排他的なナショナリズムを煽るような答弁をしなかったことは賢明だった。ただし、小泉総理の言動が中国の若者の怒りを増幅させる一因となっていることについて、よく自省してもらいたいと思って質問したが、この点についての答弁はなかった。
次に私が取り上げたのは、戦後50年にあたって出された村山談話である。私は、小泉総理が村山談話に書かれたことと同じ趣旨のことを話せば、小泉総理や日本人に対する中国の人々の見方が変わるのではないかと思ったのである。「過去の一時期における植民地支配と侵略によって、アジアの人々に対し、多大の損害と苦痛を与えた、この歴史の事実を謙虚に受けとめ、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明する」という表現は、その後、小渕総理と江沢民国家主席との間の日中パートナーシップ宣言にもそのまま受け継がれている。
私は、3日後にジャカルタで予定されていたアジア・アフリカ首脳会議においても、日中首脳会談の中で村山談話の趣旨を自分の認識として述べてもらいたいと発言。小泉総理は私の質問に対し、「村山談話、同じような認識を共有しております」とだけ簡潔に述べた。
実は、私が党首討論の場で村山談話に触れることは、あらかじめ政府に通告済みだった。私としては、小泉総理がこの機会を捉えて、中国に届くようにしっかりと自らの言葉で総理の歴史観を語ってほしいと期待したわけである。私が質問通告したあと、政府関係者からわざわざ電話がかかってきた。「小泉総理は村山談話について必ず答弁します」ということだった。日中関係が危機的状況の中で、村山談話を切り札に事態を打開したいとの思いがあったのだと思う。したがって、小泉総理の踏み込んだ答弁があるかもしれないと内心期待していた。だからこそ、村山談話と認識を共有しているというだけの簡潔な総理の答弁には物足りなさが残った。
しかし、アジア・アフリカ首脳会議で、総理は自分のスピーチの中で村山談話の表現をそのまま使って、戦争に対する反省の弁を率直に述べられた。いいスピーチだったし、アピールの場としてより効果の高い場所を選ばれたと思う。
この日の質疑で私は、冷静な議論を行うことを心がけた。投石事件で過熱している日中両国民の感情を少しでも冷静で前向きなものに変えたいと思った。国会の中も含めて、中国けしからんといった、かなり感情的な雰囲気が支配していた。そういう中で、あえて日本側にも責任があるという議論を展開した。委員会のヤジは強烈だったし、閣僚の中にすらエキサイトしている人々がいた。しかし、小泉総理はいつもと比べれば冷静に対応されたと思う。私も小泉総理が冷静に答弁できる環境をつくるために、この日はあえて靖国神社の問題は取り上げなかった。
質疑後、領事館に投石がなされ、日本企業が理不尽な攻撃を受けているなかで、なぜ中国をもっと厳しく批判しないのかとの意見を数多くの方々からいただいた。インターネットの匿名の意見交換の中で、私が中国寄りだと批判のターゲットになっているとの声も伝わってきた。一部のメディアは国民感情を煽り立てるような報道をしていたし、テレビの討論番組では、閣僚を含む与党政治家の中で激しく中国批判を行う人たちが目立っていたことも事実である。
しかし、こういったときこそ、リーダーはいたずらに国民感情を刺激するようなことがあってはならないと思う。狭いナショナリズムを煽るかのような一部の意見にもかかわらず、多くの日本国民は冷静に対応した。日本の民主主義が成熟したものであることを示したと思う。
日韓関係を私が取り上げたのは、それから2カ月後の平成17年6月22日の決算行政監視委員会だった。この日は日韓国交正常化40周年という記念すべき日であり、にもかかわらず、その2日前に開催された日韓首脳会談は成果なく終わっていた。
私は、日韓間で首脳同士の信頼関係が構築できていないために、北朝鮮に関する6カ国協議開催を前に、核問題について突っ込んだ議論ができていないのではないかと質問。小泉総理は「相手の立場がありますので公表すべきではないと思いますが、極めて率直な意見交換を行いました」と答弁した。しかし、私は北朝鮮問題についてほとんど何の議論できなかったと関係筋から聞いていた。少なくとも、6カ国協議に関して何の合意もなかったことは明らかである。
常任理事国入りについてテーマとして取り上げていないということだったので、なぜ取り上げなかったのか、日韓首脳会談の翌日、中韓両国の首相が日本を含む 4カ国のいわゆるG4提案に反対することを確認しているではないかと指摘した。小泉総理は「岡田さんが首相ではないんですし、盧武鉉大統領でもありません。何を話せばいいかというのは、私が首脳会談で判断すべき問題であります」と不満と苛立ちに満ちた答弁で開き直った。
東アジア共同体構想について問うと、「常に話し合っております」とすり替え答弁。具体的にどういう話をしたのかとさらに問うた。小泉総理は「具体的に話を申し上げる必要はございません」と答弁拒否とも受け取れる答弁。何の成果も上げることができなかった2日前の首脳会談を思い出して、機嫌が悪かったのだろうか。
聞くところによると、食事を含めて約3時間半の会談の大半は、小泉総理の靖国参拝と歴史認識の話に費やされ、その他のテーマについては議論をしていないという。いままでにない惨憺たる日韓首脳会談だったという話が伝わってきていた。
もちろん、このときの盧武鉉大統領の対応は大きな疑問を感じさせるものだった。日本を批判することで国内の支持を高めようとしているのではないかと思わせるような発言も続いていた。多くの関係者の努力によって国民レベルで交流が進み、日韓両国関係を欧州における独仏関係のように再構築するチャンスが目の前にあるにもかかわらず、政治がそれを阻んでいるという現実は残念でならなかった。
最後に私は、こんな日韓関係が続いては日本の国益、国民の利益が損なわれる。そこを日本国総理大臣としてどう考えているのかと質問した。小泉総理は「韓国の言うとおりに全部しろとか、中国の言うとおりに全部しろというような考えを私はとっておりません」と答弁。まるで、私が全部中国・韓国の言うとおりにしろと言ったかのような、いつもの粗い、そして国民感情を刺激する発言である。これからの日韓関係、日中関係はどうなるのか、暗澹たる気分になった。
日韓の首脳が交互に相手国を訪問し、意見交換を行う日韓首脳会談は、この後開催されていない。あの金大中大統領の国会における演説、未来志向の関係を築こうとの理想に溢れた決意は、少なくとも政治レベルでは止まったまま、いや、かなり後退してしまった。本当に残念なことだし、歴代総理大臣はじめ多くの苦労された先人の方々に対し申し訳ない気持で一杯である。
平成17年4月の党首討論で私は、日本は戦後、平和で成熟した民主主義国家をつくってきたことに対し、もっと自信と誇りを持っていい、そして、その自信に裏付けられた謙虚さが我々に求められていると発言した。排他的なナショナリズム、それは自信のなさの現れである。我々は自らの成し遂げてきたことに対して、自信を持ち、その自信に裏付けられた謙虚さを持って、近隣の国々に対していかなければならないと強調した。その瞬間、自民党国会議員の1人が「何言っているのか訳分からないよ」というヤジを飛ばした。国会議員のレベルも落ちたなと実感した。
小泉総理は「自信と、そして国際社会との友好関係を維持発展させていこうという、この方針を実践に移してきたのが戦後60年間の日本の姿だと思います。この方針で今後も外交を展開していきたいと思っております」と答弁。私は謙虚さの大切さについても発言したが、残念ながらこの点についての言及はなかった。小泉総理も、私が何を言っているのか分からなかったのだろうか。
成熟した議会制民主主義の歴史を持ち、また世界第2位の経済規模と強い競争力、豊かで自由な国民生活を実現している日本は、アジアの国々から見れば大きな存在である。韓国・中国から見ても、日本はライバルであるとともに成功モデルであり、目指すべき1つの目標でもあると映っている。同時に戦後の経済協力によるインフラ整備、技術や資本の輸出による産業の立ち上げへの協力、そして巨大な日本市場の提供など、アジアの国々は日本から様々な恩恵を受けてきた。
日本は自らの歴史や文化、そして特に戦後60年間に成し遂げてきたことに対してもっと自信を持つべきだと思う。最近一部に見られる韓国や中国に対する狭いナショナリズムは、私には自信のなさの裏返しとしか思えない。
私は、平成17年5月に民主党代表として発表した外交・安全保障ビジョン『「開かれた国益」をめざして』の結論部分で、「自信に裏付けられた謙虚さ」を強調した。ここで言う謙虚さとは、「多様な価値観を認め、他者に対し寛容であり、自らの過ちに対し率直であること」である。「自信に裏付けられた謙虚さ」はアジア外交、とりわけ中国・韓国との関係を考えるに際してのキーワードである。
私たちはいつの間にか袋小路に入り込んでしまった。中国や韓国と日本の関係はゼロサムゲームではない。中国や韓国が持続可能な経済成長を続け、様々な問題を克服し、政治的に安定することはアジアの平和と繁栄に貢献するのみならず、日本の平和と豊かさにも直結する。
とりわけ中国は、将来どのような道を進むかによって、アジアと日本の平和と豊かさを促進するチャンスにも、混乱と停滞を招くリスクにもなりうる。中国が環境・エネルギーなどの問題を解決しつつ、持続可能な経済成長を実現すること、民主主義を深め政治的に安定した存在となること、アジアの平和と豊かさに貢献し責任を持つ存在となることは、日本にとっても大きな利益である。
日本、中国、韓国ともに経済的にも政治的にも大きな国である。経済規模で言えば、日本が世界第2位、中国が第4位、韓国が第11位である。それだけに、利害がぶつかり合うことも多い。現に領土問題、石油開発、知的所有権など多くの問題が長期間未解決のままである。いままで、これらの問題をいたずらに先送りしてきたことの怠慢は責められなければならない。例えば、竹島の問題は韓国の実効支配が強化されつつあったにもかかわらず、これを事実上見過ごしてきたことは大きな反省が必要である。これらの問題をいたずらに先送りすることなく、しっかりとした交渉により解決していかなければならない。
しかしその前提として、お互いがお互いを必要としている、相互に依存しているという共通認識と信頼関係がなければならない。相手を敵視する不信感の中で議論しても、良い結果は何も生まれない。
いつの時代にも、国民の狭いナショナリズムを煽って自らの人気を高め、求心力を得ようとする政治家は存在した。しかしそのことが、日本に悲劇的な結果を生むことは歴史が証明している。「小さな政治」はお互いに慎まなければならない。将来展望と大局観、そして自信に裏付けられた謙虚さを持って大きな政治に取り組まなければならないときが来ていることは明らかである。強い信念を持って、私も日中関係、日韓関係の再構築に取り組んでいきたい。
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